歴史的大逆転といえば・・・

先日の記事ですが、なんと大﨑と内容が被ってしまいました。。

クロアチア代表の「~ッチ」が多いという話題です。

私が記事を書いている時、ちょうど大﨑も記事を書いていたのでしょう。

まさか同じことを考えていたとは…

大﨑の記事にもありましたが、サッカー日本代表の大活躍には私もとても感動しました。

格上のドイツ戦、スペイン戦での見事な逆転勝利はサッカーにそれほど興味がなかった私でも大変感動しました。

さて、強引に話を繋げてしまいますが、歴史の上でも「逆転勝利」というのは起きています。

今、言った”歴史”とは文字通り、学校で習っている”歴史”のことです。

今回は塾の講師らしく、勉強の内容について書いていきたいと思います。(「なんだ、勉強の話か。じゃあ読むのやめよ。」と思わずにぜひ最後まで読み進めていただけることを願います。)

まず、有名な大逆転といえば桶狭間の戦いですよね。

中学2年生、中学3年生は知らないとは言わせません。

歴史の授業で習っているはずですから。

この戦いは尾張(愛知県)の織田信長が駿河(静岡県)の今川義元を破った戦いです。

諸説ありますが、この戦いの時の織田信長の軍はわずか4000人程度。

そして対する今川義元の軍勢は30,000人を超えたとも言われています。

約7,8倍の相手と戦い、見事に織田軍は今川軍を破ったのです。

信長は豪雨の中、少数の兵とともに、休息していた今川義元の本隊に奇襲をかけたとも言われています。

たしかに休んでいたら急に豪雨が降って来て…という状況を想像すると、だいぶ集中力はなくなりそうです。

「なんだよ~、せっかく休んでたのに雨かよ~、あ~あ」と思っている所にいきなり敵が現れたら、まともに戦えないのは分かる気がします。

同じ時代の大逆転劇はなんとこの川越でもありました。

以前に書いた記事にも少し登場しましたが、河越城の戦いです。

上杉憲政率いる80,000の兵に対して、川越方の北条氏康は8,000の兵で迎え撃ったと言われています。(上杉軍は20,000前後という話もあります。いずれにせよ、北条側が兵力ではだいぶ不利だったようです。)

この戦いでは北条氏康が相手を油断させるために詫び状を送ったという話もあります。

詫び状を簡単に言うと「ごめんなさい。私が悪かったです。許してくれれば降伏します。」という手紙です。

この詫び状を受け取った上杉側は北条氏康を許しはしなかったそうですが、油断はしたようです。

「こんな詫び状を送って来るとは北条側は相当やる気がないな。」と。

油断していたところに突然北条軍が周りから突っ込んで来たので、上杉軍は大いに慌てて退却してしまったそうです。やはり油断はいけませんね。。

さて、時代は一気に飛び、外国の話になります。

1939年11月、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻し、冬戦争という戦いが始まります。

フィンランド軍およそ250,000に対して、ソビエト連邦軍は約1,000,000。

戦車の数はフィンランド30に対して、ソビエトは6,000以上。

航空機の数はフィンランド100ちょっとに対して、ソビエトは3,500以上。

圧倒的な戦力の差です。

織田信長や北条氏康が活躍した日本の戦国時代とは違い、この頃の戦争は自動小銃や戦闘機などが使われています。

このような兵器が使われる戦争というのは、それこそ戦力差(兵士の差・兵器の差)が勝敗に大きな影響を及ぼします。

しかし、フィンランドは多くの犠牲を出しながらも独立を守り抜きます。

他にも少ない戦力で大きな相手に互角以上に戦った歴史というのはたくさんあります。

戦いですので、そこには犠牲も多く出ています。

だから「興味を持って…」とはなかなか言いづらいところはありますが、なぜそれだけの戦力差がありながら勝利がひっくり返ってしまったのか、など考えるのは面白いかもしれません。

固い話になってしまいましたが、皆さんが歴史に興味を持つきっかけになれば幸いです。

ちなみに山口学習塾の卒業生たちの大逆転はこちらです☟

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