先日の記事に関連して。
やはり、小学2年生の長女は夏休みの宿題を終えていませんでした。
しかも、夏休みの宿題の大ボス的存在、読書感想文を残して。
幸いなことに「本は読んだ」ということなので、「どうやって文章を書いたらいいか」という部分を教えることになりました。
・・・が、読書感想文とは文字通り「感想」なのです。
本を読んだ本人の感想を書くわけです。
「これって他人が教えるものなのだろうか…」
そんなことを考えてしまいます。
とりあえずは、学校で渡されていた『読書感想文の書き方』のようなプリントに沿って
・何を読んだのか。
・なぜその本を選んだのか。
・どういう本なのか。
・印象に残った場面はどこなのか。
・なぜ印象に残ったのか。
・何を学んだのか。
・これからどうしていきたいか。
という点を一つ一つ考えてもらうことにしました。
が、「なぜその本を選んだのか。」という2番目でいきなりつまずくわけです。
「分からない。」と。
「教えて」という訳です。
教えられるわけないのです。
だって本を選んだのは私ではなく長女ですから。
「そんなの自分で考えないとダメでしょ。自分で選んだんだから。」と突っぱねると、泣くわけです。
仕方がないので少しだけ例を出してみるんですね。
「たとえば、絵がキレイだったとか、動物が好きだからとか、そういうことを書けばいいんだよ。」と。
すると、長女は私が言ったとおりのことを書いてしまう訳です。
「いやいやいや、今のは私が言ったことを書き写してるだけじゃない。ちゃんと自分で思ったことを書きなさいよ!」と言うと
「同じこと思ったんだもん。」と言うのです。
その先の「どういう本なのか」に進むと、再び「分からない」と口にするのです。
「もう教えないぞ。自分で考えなさい。」と言うと、再び泣くのです。
「泣いても教えないよ。書かないなら書かないでもいいんだから。読書感想文を忘れて学校に行けばいいんだ。」と突っぱね、部屋を出て様子を見ることにしました。
少し時間をおいて部屋の中をのぞくと、さっきまで悲しそうに泣いていたはずが、床に寝そべって鼻歌を歌っているじゃありませんか…
その様子にイライラした私が
「たとえば、世界の不思議について書かれた本とか、世界の面白いことについて書かれた本とか、そういうことでもいいんじゃないか。」というと、やっぱりそれをそのまま書くのです。
その後同様のやり取りが続く中で、ポツポツと自分自身の言葉を書けるようにはなってくれましたが…
私自身、塾講師をやっている中で「読書感想文」指導は未経験でした。
国語を指導していた経験もありますが、それはあくまで教科的、受験的な内容です。
点数を上げる、入試に合格するという目的のない指導がこんなにも大変だとは…
しかも、実の子どもになると、生徒さんと違って非常に甘えてきますし。。
とりあえず、四苦八苦しながらも家の長女はちびまる子や磯野カツオよりは早く夏休みの宿題を終えられそうです。。