突然ですがみなさん、映画は好きですか?
私事ですが、わたしはあまり映画を見ません。映画館に足を運ぶことも少なければ、アマゾンプライム、ネットフリックスというサービスにも加入していないため、映画を観る機会がそもそも少ないです。
最後に見た映画はスタジオジブリの「君たちはどう生きるか」です。
その前が「呪術廻戦0」。アニメばっかりですね。
最近見たいと思っているのは、先日から上映されている「飛んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」です。前作の「飛んで埼玉」がめちゃくちゃ面白かったので、続編も面白いだろうと期待しています。
今回紹介する漫画、藤本タツキ『さよなら絵梨』はそんな映画にまつわる青春物語です。
中学生の主人公は、もうすぐ病気で亡くなってしまう母親からスマホをプレゼントされ、そのスマホで死ぬまでのあいだ撮影してほしい、というお願いをされます。
そうして撮影したドキュメンタリー映画を全校生徒の前で上映したら、これ以上ないほど酷評されてしまい、生きる気力をなくして屋上から飛び降りようする直前で、彼の映画をおもしろいと評価する子、絵梨と出会い……みたいなお話です。
主人公の男の子が作った映画が酷評されたのには、ちゃんとした理由があります。
それは、映画の終盤で母親の死を撮影することから逃げ出して「病院ごと爆発させる」というラストにしたからです。
悲しい現実から逃げ出すために爆発させる、というのはフィクションの特権です。現実では、何もかも爆発させるというわけにはいきません。不謹慎な扱いには批判が起こることもあるでしょう。
ただやはり、つらいこと、苦しいことから逃げ出す手助けをしてくれるのが、映画や小説などの想像力を生かしたフィクションです。
『さよなら絵梨』は主人公の撮影する映画の視点と、主人公自身が見る視点が入り混じって物語が展開しています。
どこからが現実でどこからが虚構なのかわからないまま迎えるクライマックスは、つらい現実に対するフィクションからのアンサーです。
個人的に好きな歌人の枡野浩一さんの短歌に、「こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう」というものがあります。
まさに『さよなら絵梨』の主人公が直面する現実はふざけていて残酷なものですが、それに対してさらにふざけたもので対処するのがフィクションというものなのかもしれません。
作者の藤本タツキはジャンプで連載している「チェンソーマン」で有名です。「チェンソーマン」は長期連載作品ですが、『さよなら絵梨』はコンパクトにまとめられた短編です。
作者のストーリーテリングのうまさが如実に表れています。あと絵もめっちゃうまい。
1冊だけで完結していて手軽に読めます。ぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。