先日、サポーターのテセウスの船という話を記事に書いていました。
ある船があって徐々に部品を取り換えて行った結果、もともと船に使われていた部品が全て新しいものに置き換わってしまった。さあ、今の船は同じ船と言えるでしょうか?
という話がテセウスの船である、と。(佐山が言っておりました。)
この記事を読んで私が思い出したのが、皆さんご存じの「ちびまる子ちゃん」です。
皆さんはちびまる子ちゃんの原作者を知っていますでしょうか。
さくらももこさんです。
さくらももこさんは2018年に亡くなっています。
ですから、最近のアニメのちびまる子ちゃんというのは、さくらももこさんではない方が脚本を担当していたわけです。
そして先日、長年まる子ちゃんの声優をされていたTARAKOさんが亡くなりました。
ちびまる子ちゃんと言えば、あの声ですよね。
実は私はちびまる子ちゃんが大好きでした。
小学生の頃に漫画本を買ってからアニメもずっと見てきました。
ですから、「これからのちびまる子ちゃんがどうなるのか」は本当に気になっています。
別の声優さんが跡を継いで続くのかどうか…
しかし、仮に続いたとして…
原作者のさくらももこさんではない人が脚本を書き、声もTARAKOさんではない。
果てしてこれがちびまる子ちゃんと言えるのかどうか…
日曜の夜、ちびまる子ちゃんとサザエさんを見るのが私の習慣になっていたのですが、声の変わったちびまる子ちゃんを見続けられる自信が今のところありません…(;^_^A
とは言うものの仮に見なくなったとしても、ちびまる子ちゃんが終わってしまうのは、非常に悲しい気がします。
例えると、昔遊んだ林や森が無くなってしまうかのような・・・
私が幼い頃は塾の近所も林が森があったのです。
たとえば電源開発の周りにも林があって夏になるとカブトムシを捕まえによく行ったものです。
そんな林も今は全て住宅地。
オジサンになった今、少年の時のようにカブトムシを捕まえに行くことはないとは思いますが
「あぁ、昔はここに林があったんだよなァ」
と、寂しい気持ちになるときがあります。
ちびまる子ちゃんと、昔遊んだ林を重ねるのもおかしいのかもしれませんが、
「仮に見なくなったとしても日曜の18時にはずっとちびまる子ちゃんがあって欲しいなァ」
という気持ちはあるんですね。
そういえばサザエさんも、登場人物の声優さんはたくさん変わった気がしますが、サザエさん本人の声優さんは変わっていない気がします。
サザエさんの声優さんがもし変わったら…
いや、それでもちびまる子ちゃんも、サザエさんも見続けようと思います。
ちびまる子ちゃんもサザエさんも、原作者が変わったから声優が変わったから、というレベルのアニメではないはず。
日曜の18時、一家そろって「あーでもない、こーでもない」と言いながら見ているテレビの中の女の子、それこそがちびまる子ちゃんのはずですから。
脚本家が変わろうが、声優さんが変わろうが、ちびまる子ちゃんはちびまる子ちゃんのはず!
佐山の記事を読んでそんなことを思いました。