突然ですがみなさん、クイズは好きですか? 最近はテレビ離れが進んでいるそうなので、クイズ番組などに触れる機会が減っていっているイメージがあります。
たまにクイズ番組などを見ていると、学校で勉強したことが出題されることはもちろん、好きなアーティストやゲームが答えになる問題などが出題されていて、見ていると自分も参加しているような気分になって、結構おもしろかったりもします。
一方で、早押しクイズなどは出演者の凄技を見るのも楽しいですよね。全く問題が読まれていないのに即ボタンを押し、そのうえ自分が全く知らない答えなどを言われると、出演者の技術の高さ、知識の量に圧倒されます。
小川哲 著『君のクイズ』はタイトルの通り、そんなクイズを題材にしたミステリ小説です。
「クイズを題材にしたミステリ小説」と言われてもイメージがわかないかもしれません。作中では「早押し」がミステリとして仕立て上げられます。
主人公はクイズ番組に出演しており、あと一問正解すれば優勝し千万円がもらえる、という場面に立っています。しかし相手も強者で、同様に相手もリーチがかかっています。しかし相手はそれまでに2問間違えてしまっているので、もう1問間違えてしまうと失格になってしまいます。主人公は1問しか誤答していないため、もう1問間違えることができるという点で、主人公に心理的なアドバンテージがあります。
最後の問題が読まれる、というところで、相手選手のボタンが押されます。まだ1文字も読まれていない段階で、相手はボタンを押したのです。いくら早押しといえど、1文字も問題が読まれていない状況で答えがわかるわけがない。
そのはずなのに、相手選手が述べた答えは正解でした。相手選手は問が読まれる前に正解するという「ゼロ文字正答」をやってのけ、見事、頂点の座を掴みました。
しかし当然、主人公は納得がいきません。ボタンを押す早さを競う競技ではありますが、問が読まれる前にボタンを押すのはいくらなんでも早すぎます。そのうえ、正解までしてしまったのですから、あと一問のところで一千万円を逃してしまった主人公としてはどうにも腑に落ちません。
同じクイズ番組に出演していた人たちは、相手のヤラセを疑います。相手は番組のディレクターから事前に問題を教えてもらっていたのではないか、と疑うわけです。
しかし、ヤラセだとしても問が読まれる前にボタンを押す必要はない、と主人公は考えます。問題が読まれる前にボタンを押してしまうとインチキを疑われてしまいます。ボタンを押すのは、本当にヤラセだったなら、疑われないためにも問題が読まれてからボタンを押すのではないか、と考えるわけです。
相手選手の「ゼロ文字正答」はあてずっぽうで正解した奇跡だったのか、問題を事前に教えてもらっていたヤラセだったのか、それともクイズの技術で正解を引き当てたものだったのか。主人公は相手選手が過去に出演していたクイズ番組の映像を見返して、「ゼロ文字正答」の真相を探ります。
「なぜ相手選手は最終問題において、一文字も読まれていないクイズに正答できたのか?」
これが『君のクイズ』という物語で提示される謎です。
主人公は相手のプレイイングを分析していくのと同時に、自分が番組で正解した問題、間違えた問題を見返していきます。兄がよく聞いていたラジオ番組や、実家に置いてあったけれど読まないでいた古典文学。自分が正解した問題はすべて、自分がかつて触れたことのあるものでした。今まで自分が生きてきた中で触れてきたもの、学んできたもの、それらがクイズプレイヤーである主人公の力になっています。
主人公にとってのクイズは、自分自身のアイデンティティに深くかかわるものでした。それに対して「ゼロ文字正答」をした相手は、どのようにクイズと向きあっているのか。主人公はクイズを通して相手がどのように今まで生きてきたのか、何を学んできたのか、そういったことを探ろうとします。主人公と相手のクイズに対するスタンスの違いなどが、徐々に浮き彫りになっていくのがスリリングで面白いです。
主人公も相手の選手も一流のクイズプレイヤーであり、クイズの場での立ち振る舞いを追っていくと自分もなんとなく思考が明晰になった気がします。皆さんもぜひお手に取って、一流のクイズプレイヤーの気分を体験してみてはいかがでしょうか。
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