人の気持ちを「分かろうとする」ことが大事

「〇〇の気持ちが分からない。」

小中学生でも、大人でも、そう思うことは多いと思います。

私もそう思うことはたくさんあります。

ある生徒さんの学習意欲があまり高くなさそう…

ある生徒さんが何度言っても宿題を忘れて来る…

ある生徒さんが何を質問してもいまいち反応が悪い…

そういう時は、「あの子は何を考えているのだろうか…」と思います。

プライベートでも、自分の子どもたちが理由もなしに泣き叫んでいるとき。(彼らにとっては立派に理由はあるのでしょうが…)

妻が理由もなしに不機嫌なとき。(これも彼女にとっては立派に理由はあるのでしょうが…)

「何を考えているのか分からない…」

そう悩む場面はたくさんあります。

いっぽうでこういうセリフを簡単に言う人がいます。

「あ~、その気持ち分かるなぁ~。」とか。

「〇〇はそういう人だよね。」とか。

「他人のことがそんなに分かるなんて凄いなァ~」と思いながら、一方で「本当に他人のことを分かるなんてことがあるだろうか。とくに他人の気持ちをそんなに簡単に分かる、なんて思っていいのだろうか。」とも思うのです。

私自身は、自分自身のことすら大してよく分かっていない気もします。

何となく漠然と「不安だなぁ…」と過ごす日もあります。

反対に何となく心がウキウキして前向きに過ごす日もあります。

もしかしたら、それは天気のせいかもしれませんし、前の日に誰かからかけられた言葉が原因なのかもしれません。もしかしたら体調が原因かもしれませんし。

「何がどうなったから今、自分はこういう気持ちなんだ。こういう状態なんだ。」

そうハッキリ考えることもほとんどないですし、仮に今、それを考えようとしてもなかなか難しい部分があります。

自分自身のことでさえそうなのですから、「他人の気持ちが分かる」なんて境地は、私にとってはまだまだ先の話のような気がします。

でも、私は「それでも他人の気持ちを分かろうとする」ことは大事だと思っています。

なぜこの人はこういう表情をしているのだろうか。

なぜあの人はいつもこういう行動をとるのだろうか。

どういう気持ちを抱えているのだろうか。

どういうことを私がすれば、どういう言葉を私がかければ、その人は心地よくなってくれるだろうか。

それは常に考えなければいけない、と肝に銘じています。

もちろん、考えても考えても、正解にたどり着くことはないと思っています。

私は神様ではないですし、人の心が読める超能力者や占い師でもないですから。

そもそも「アナタの気持ちは分かる。」「アナタはこういう人だ。」なんて言葉に出すようになったら、自分自身のことを神様か何かと勘違いしてしまっているのではないか、と不安になります。

分からないからこそ、徹底的に考えるわけです。

そして、場合によっては「今、何を考えていますか?」とか、「どういう気持ちだった?」とか、相手に聞くわけです。

考えて、聞いて、観察して。

そのうえで「こうではないか」という行動を取る訳です。

間違っている場合もあります。

その場合は、「次はもっとよく考えて、もっとよく聞いて、もっとよく観察して…」そう思うことにしています。

分からないからこそ、考え続けることが大事だと思うのです。

分からないからこそ、工夫し続けることが大事だと思うのです。

「しょせん人の気持ちは分からない、だから考えない方が良い。」

私はこういう考え方をする人はあまり好きではありません。

それは努力を放棄した態度だと思うからです。

(とはいえ、私も中学生の時はそういう冷めた言葉をよく言っていました。人を寄せ付けない雰囲気をあえて出すことがカッコいいと思っていたのです・・・恥ずかしい!!)

「人の気持ちはどこまで行っても分からない。」⇒「だからこそ、努力や工夫を重ね続ける!」

それが大事だと思うのです。

分かることが大事なのではない、と。

分かる、なんて思ってしまう日が来たらそれこそ怖い話だと思いますから。

そんな日が来たら、「俺は何でも分かる。あの人はこう考えている。この人はこういう人間。」そんな風に決めつけて、考えたり、工夫したりすることがなくなるような気がします。

「人の気持ちを分かろうとする」こと、どこまでもその意識を持ち続けること、それが大事だと思っています。

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