よみがえる、あの日の保護者面談のお言葉

私事になります。

この春、次女が小学1年生になりました。

5月に入り、まだまだ勉強と呼べるような内容ではないですが、授業も始まったようです。

学校での勉強の様子を本人に聞くと

「カンタン。全部分かってるよ。」とあっけらかんと話します。

本当に大丈夫なのか…、少し不安になったので妻にも様子を聞いてみると

「鉛筆の持ち方で合格がもらえないみたい。字もまだまだ鏡文字になることがある。文章はまだ一字一字しか読めない。」と…

たしかに私もほとんど子どもの勉強は見て来ていませんし、幼稚園も「目一杯、自然のなかで遊ぼう!」という環境だったのでいたし方ない…とは思うのですが。。

今は小学3年生になった長女が、小学1年生だった頃を思い出します。

平仮名は全て書けましたし、簡単な文章であればわりとスラスラ読めた気がします。

簡単なたし算もスラスラできました。

さらに現在、年中の長男はすでに平仮名は書けますし、簡単な文章は読めます。たし算もできます。

3人の兄弟は同じ幼稚園に通っていますので、特別に「幼児教育の差」のようなものはないはずなのですが…

ただ、次女も少しずつ大人になり、羞恥心みたいなものが出てきているようです。

「兄弟の中で自分だけが少しできないような気がする…」と、自分自身でも思い始めているのではないか…と妻が話すのです。

そう言われてみれば、そういう場面が時々見られるような・・・

たとえば長女が何気なく勉強の話をしたとします。(たとえば日本地図の話題など)

そうすると、次女はすぐに話題を全く別のものに変えようとします。

また、長男が文章を書いていたり、簡単な計算問題をやっていると(彼は誰に言われるでもなく、字を書いたり、たし算をしたりするのが好きなようです)それに対抗して自分もやったりします。

(ただし、次女は書いた字やたし算の答えを誰にも見せないことも多々あります。自信がないのでしょう…)

そんな状況なので、親戚や知り合いからはやはり長女や長男が褒められることが多いんですね。

「もうそんなにできるんだ、スゴイね!」

「まだまだ小さいのに頭良いね!」

などなど。

そのときの次女の顔はどことなく寂しげな表情を浮かべているような気もするのです。

3年前のある卒業生のお母様との面談で言われた言葉が蘇ります。

「3人兄弟の真ん中は周りから注目されないことが多いから、親がしっかり見てあげて、たくさん褒めてあげた方がいいですよ。構い過ぎてると思うくらい構ってあげた方がいいですよ。」と。

今の次女を見ていると本当にその言葉が大事な気がしています。

勉強だけでなく、山登りに行ってもやはり注目されるのは下の子です。

次女もまだまだ小さい体で一生懸命登っているにも関わらず、すれ違う人達はそれよりも小さい長男に向かって

「偉いな、ボク。小さいのに頑張ってるね!」と声をかけてくれるんです。

次女のことは誰も見えていないかのように・・・

そんな様子を見ると、あの日の面談でお母様から言われた言葉が蘇ります。

だから、次女に向かって

「お前も滅茶苦茶頑張ってるぞ!お前の方がアイツよりもすごいぞ!」と声をかけるんですね。

私もまだまだ人の親としては未熟者です。

日々、生徒さんや保護者様とのやり取りから多くのことを学ばせてもらっています。

自分のプライベートの話で恐縮ですが、どうにか3人の子どもが健やかに、そして自分に自信を持って生活ができるようになってほしいと願っています。

あの日の言葉。

「真ん中は構い過ぎるくらい構ってあげた方がいい。」

今の私にはとても大事な言葉として胸に刻まれています。

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