遠い記憶「私の受験生活」

中学3年生がいよいよ受験生活のクライマックスを迎えていくにあたり、私自身の高校受験生活について書いてみたいと思います。

遠い記憶になりますが、それなりに自分自身を追い込んでいましたので、覚えていることも少なからずあります。

私の受験勉強は中学2年生の冬から始まりました。

当時私は塾には通っていませんでしたので、周りが塾に通い始め自分の知らない勉強内容が会話の中に出てきたりすることに焦りを感じ始めていました。

「塾に行ってない自分は周りよりも早くから勉強しないとまずい!」

若き日の山口少年はそう思ったのです。

皆さんには絶対に真似してほしくありませんが、私は受験勉強を始めるとともに部活の朝練に行かなくなりました。

私の受験勉強のスタイルは「夜9時に寝て朝3時に起きて勉強を開始する」という形だったので朝練で勉強時間が減ってしまうのが嫌だったのです。

私はバスケ部のレギュラーでした。

県大会に出場するようなチームでしたので、周りからのバッシングはそれなりにすごいものがありました。

「ふざけるな、お前の勝手で試合に負けたらどうするんだ!朝練をサボるな!」とチームのメンバーから言われたような記憶もかすかにあります。

そういわれた私は「俺の受験が失敗したらお前達が責任取ってくれるのか?」などと、とんでもない発言を返していたような記憶もだいぶ鮮明に残っています。

こういう中学生を今は「中2病」とでも言うのでしょうか。

受験勉強に突入した私はまさに「中2病」を全身に着込んでいるような嫌な奴だったのだと思います。

今もそうですが当時の私も非常に不器用で「あれもこれも要領よくこなしていく」というのができなかったのです。

やるからには身も心もそれに没頭しなければ不安で不安で仕方がなかったのだと思います。

学校が終われば走って家に帰り、すぐに自分の部屋にこもって勉強を始め、夕食と風呂の時間だけ部屋から出てきて、できるだけ早くそれらを片付け、夜9時きっかりまで勉強をする。そして朝3時には必ず起き朝7時まで勉強する。

勉強が足りない時は夕食を抜くことも度々ありましたし、不安で眠れない時は歴史の年表を夜中にひたすら暗記していたこともあります。

学校でも休み時間も給食の時間もずっと勉強をしていました。

勉強ばかりして他のことをしないので、親にも学校の先生にも怒られたことがありました。

ただ、そんな私の姿を見て友人の一人がいつしか私の給食を用意してくれるようになりました。

「お前は勉強頑張ってるから給食の用意くらい俺がしてやる。」と言ってくれたんですね。

中2病が制服を着て歩いているような中学生だったので、素直に「ありがとう」とは当時は言えなかったのかもしれません。

でも、今でも彼のその行為には感謝をしていますし、彼と久々に会えばその時の話が必ず出ます。

私の孤独で辛く長い受験生活の思い出の中でも、とても嬉しい記憶として残っています。

2年生の冬から丸一年、部活や友達関係を犠牲にしてやり続けた勉強。

今思えばあんなに追い込んでやる必要もなかったとは思いますが、あの一年間は今でも自分の財産になっていると思っています。

あの一年間、自分を律して、我慢して、がむしゃらに努力を重ねられたこと。

これは大人になった今でも私の中で自信として残っています。

高校受験は合格できました、そしてその後も希望した大学に合格することができましたし、希望していた会社に入ることもできました。

でも、私が今でも大きな財産だと思っているのは、進学した先の高校名でも、大学名でも、ましてやその後の就職先の会社の名前でもありません。

受験勉強を途中で諦めずに、最後まで自分を追い込めたこと、これこそが今に繋がる大きな財産だと思っています。

「14歳、15歳の自分はあれほどまでに自分自身を追い込めた。今の自分はどうか?あの時の自分に笑われるような甘えを持っていないか?」

今でも度々そう思います。

もちろん、これは私自身の個人的な思い出です。

皆さんに「受験勉強とはこうあるべき」などと何かを強要するつもりもありませんし、「受験勉強って素晴らしいんだよ」と自分の価値観や思い出を押し付けるつもりもありません。

皆さんには皆さんの受験生活があるでしょう。

今、多くの受験生が「受験勉強は大変だなぁ…」と感じていることと思います。

でも、大変だからこそ価値があるのかもしれません。大変だからこそ、その先の人生にも記憶が残るのかもしれません。

私の個人的な思い出を長々と書いてしまいましたが、受験生の皆さんの心に少しでも「何とか最後まで自分を追い込んでみるか。」という前向きな気持ちを与えることができるのであれば幸いです。

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