連休中、たいして特別なことはしなかったわが家(山口家)ですが・・・
買い物に出かけたついでに近くの博物館にふらっと寄ったりもしたのです。
そこで面白い話を聞きました。
「江戸時代の後期に生糸(きいと)の生産がさかんになり、日本のおもな輸出品になった」
ということについては、中学3年生であれば知っているはずです。
中2の二学期~三学期に学校で学習したはずですから。
「え?そんなの覚えてないよ。」
という人は直ちに復習してください(笑)
富岡製糸場はその生糸生産の流れの中で明治時代につくられたわけですね。
まあ、このあたりは学校の教科書にも載っている内容ですし、社会が苦手な生徒さんからすれば
「どこが面白いんだ?」
という気持ちかもしれません。
(そもそも社会が苦手な生徒さんは、この時点ですでにこの記事を読むのを辞めているかも・・・涙)
社会が苦手な生徒さんでも、話が面白くなるのはここからです。
もう少し我慢して記事を読み進めて下さい、お願いしますm(__)m
とくに猫好きの人はぜひ読み進めて下さい、お願いします(*- -)(*_ _)ペコリ
生糸生産に必要なのは蚕(カイコ)というガの幼虫なんですね。
この幼虫が作る繭(まゆ)を原料に生糸は作られるのです。
が、この蚕には天敵がいるそうで。
その天敵がネズミだったんですね。
ネズミが蚕を食べてしまうそうです。
生糸生産をしている人にすれば、たまったもんじゃないですよね。
蚕のエサになる桑(くわ)の木を大事に育て、蚕が元気に成長するように家も養蚕専用バージョンで建て、日夜温度や湿度を管理し、そこまでやったのにネズミに食べられる・・・
「オーマイガー!」と叫べば済まされるレベルのショックではなかったはず・・・
そんな時、人間が目を付けたのは猫です。
猫はネズミを食べますよね。(ド〇えもんを除く)
だから、生糸生産をしていた人たちはネズミを減らすために猫を飼ったそうなんです。
猫が養蚕業の守り神になった、ということなんですね。
その名残で神社のお札にも猫が使われていることが多かったそうです。
とくに埼玉県は養蚕業がさかんだったということで、埼玉県の神社のお札にも猫が使われていることがあったようで。
(博物館には、小川町や所沢市の神社の猫お札が展示されていました。)
そういえば毛呂山町の出雲伊波比神社には猫がたくさんいますが、養蚕業の名残なのでしょうか?
それともただ捨て猫が増えただけなのでしょうか?
神社を管理している方々は困っているかもしれませんので、勝手な憶測は辞めておきましょう・・・
余計な話を挟んでしまいましたが、話をタイトルに移します。
「猫>馬?」
というタイトルに触れて記事を終わりましょう。
先ほども言ったように江戸時代後期の養蚕業を営む人たちにとっては猫というのは非常に大事な動物だったわけです。
そして、江戸時代後期~明治時代に養蚕業というのは金儲けができる仕事だったので全国に広がったんです。
つまりそれだけ「猫が欲しい!」という人達があふれかえったわけですね。
欲しい人が多ければ多いほど、値段が上がるのがこの世の中です。
(現代でも皆が欲しがるものは異様に値段が上がったりしますよね。ス〇ッチ2もスゴイ値段で売られたりするのでしょうか・・・)
江戸時代後期、神社のお札になるほどに人々に求められた猫の値段は、ついには馬1頭の値段の5倍になったそうです!
猫が馬よりも高い、というのでさえ信じられませんが、5倍ですよ!?
ちなみに今流行りの生成AIに「猫1匹の平均価格は?」と聞くと、答えは「10万~20万」という話でした。
「馬1頭の平均価格は?」と聞くと、答えは「乗馬やペット用であれば100万~300万」という話でした。
(競走馬になると1000万~3000万前後だそうです。)
現代では当然、馬1頭の方が断然に高い訳ですが、江戸時代後期では全く逆だったんですね・・・(;^_^A
「昔は猫が馬よりも高かった」という衝撃の事実に私は感動し、博物館内をもっとじっくり見たかったのですが、子ども達は全く興味がないようで早々と去らなけらばいけなかったのが心残りです。