昔、ある役人の男が、健康に良いということで毎朝2本の大根を焼いて食べていたそうです。
ある時、家の警備をちょっと油断したところに、自分の敵である者たちに襲われてしまいました。
しかし、突然現れた見知らぬ2人の侍が敵をすべて追い散らしてくれました。
役人の男が
「見かけないお顔ですがこんなに戦っていただき、いったいどちら様でしょうか。」
と二人の侍に聞きました。
すると、二人の侍が答えました。
「あなたが毎朝信じて疑わずに食べている大根でござる!!」
そういうと二人の侍は去って行きました。
・・・先生、いきなり訳の分からない話をしないでください。
そう思った方、私も最初、この話を読んで同じように思いました。
まず、不思議に思うのが「毎朝食べている大根2本」が2人の侍として出てくるところ。
毎朝2本ずつ大根を食べているのだったら、たとえば3日で6本です。
であれば、6人の侍が出てこないとおかしいのではないでしょうか?
いや、3日くらい食べ続けたからって、大根の神様が救ってくれるわけありません。
少なくとも1ヵ月は食べ続けないと、救ってくれることはないでしょう。
というと、2本×30日=60本。
つまり、60人くらいの大根ザムライが出てこないとおかしくなります。
「いや、そうではない、これは”毎朝2本ずつ大根を食べていること”に関して侍が具現化したのであって、決して大根そのものが侍になったのではない!」
古典にうるさい人からはそのようなお叱りを受けそうです。
そうなんです、実はこの話は古典の話なのです。
『徒然草』という鎌倉時代末期~室町時代初期に作られた随筆に載っています。大真面目な話として載っています。
先日、サポーターの染井の記事にて「古文や漢文は意外に面白い」とありました。
それを見て、私はこの大根ザムライの話を思い出したのです。
「たしかに古文や漢文には面白い話があるな。」と。
ちなみにこの大根ザムライの話の最後は
深く心を致しぬれば、かかる徳もありけるこそ。
という結びになっています。
意味は「どんなことでも深く信じていれば、こんな良いことがあるかもしれませんよ。」ということです。
・・・強引過ぎない?と思わないでもないですが…
「大根を毎朝2本食べてるとピンチのときに大根ザムライが助けてくれることもあるんだよ。だから皆も何かを信じて地道に続けて行こうね!」
説得力、あるかなぁ…?と思わないでもないですが。。
とにかく、古典の中には面白いを飛び越えて「そんなことある!?」という普通では考えられない話もたまにあります。
(ここでは書けませんが、平安時代末期に書かれた『今昔物語集』の中には、好きな女性をあきらめるためにとんでもないものを盗む男の話もあります。気になる人は調べてみて下さい、とんでもない話ですから…。)
勉強って意外に面白いこともあるんだな、という一つのきっかけになれば幸いです。
(あんまり古文・漢文のネタを書いてしまうと、今後の染井の記事を妨害してしまう可能性もあるのでこのあたりで・・・)