保坂和志『この人の閾』

新学期が始まる時期になりました。いかがお過ごしでしょうか。

最近は暖かくなってきて、過ごしやすい季節になってきたと感じるとともに、花粉症の人は少し辛そうにしているのが目に入ります。

小学6年生だった生徒さんは中学生に、中3だった生徒さんは高校生になります。人によっては大きな変化が訪れる時期ではありますが、個人的にはあまり変化はありません。

小学校から中学校への進学よりも、高校への進学のほうがなぜか印象に残っています。単純に高校進学のほうが記憶に新しいから、というわけではなく、一番新しい大学進学はたいして印象に残っていません。

そう振り返ると、高校生活には何かしらの期待をかけていたのだと思います。もっとも、わたしは高校に入っても部活に入らず、起伏のない生活を送るのですが……

わたしの周りでは劇的なことは何一つ起こらなかった高校生活でしたが、どうでもいいことばかり記憶に残っています。

たとえば、高校三年生のとき。

その日は朝から雨が降っていて、わたしは傘をさして駅から学校へ向かっていました。

ほかの生徒も傘をさして学校に向かっていたのですが、一人だけ、傘を差さずに歩いている生徒がいました。

その生徒は、当時の生徒会長を務めていたKという2年生でした。

雨はそこそこ強く、傘を差さないKはずぶぬれになって歩いていました。

先ほども書いた通り、その日は朝から雨が降っていたので、傘を持って家を出たはず。おおかた、電車の中に傘を忘れてしまったのだろうと思いました。

わたしはビニール傘を持っていたのですが、カバンの中には折り畳み傘も入っていました。

一瞬、Kに傘を貸そうかどうか悩みました。しかしその悩んでいる間にも、Kは足早に学校へ向かっていきます。

結局、Kはどんどん歩いて行ってしまい、わたしは傘を貸すことはできず、何事もなく登校したのでした。

あれから数年たちますが、ほんのわずかに傘を貸さなかったことを後悔しているような気がします。たぶんKは雨の中を登校したことなど覚えていないと思いますが。

特に落ちもない話ですが、わたしの高校生活は割とこういったどうでもいいエピソードで構成されていて、わたしはそのことに満足しています。

何気ない日常が尊い、と言いたいわけではありませんが、何気ない日常の中にも何かしらの記憶に残るものが含まれていて、それはそれで面白いものだと思います。

保坂和志『この人の閾』(閾:いき)という小説は、特に何も起こらない、平凡な1日を描いています。人物の動きらしい動きと言えば、かつての大学の知り合いに会いに行って、一緒に庭をいじって、犬と遊んで……みたいな感じです。推理小説のような事件などは一切起こりません。

「この人の閾」は短編で、文庫本のページで言うと70ページほどだったと思います。原稿用紙でいうと93枚だそうですから、文字数にするとだいたい30000文字ぐらいです。

小説内で流れる時間はたぶん4、5時間くらい。何気ない4時間を30000文字で記述するのは、簡単なことではないと思います。何を書けばいいのかわからない、そもそも何もしていないから何も書けない、という事態に直面するのではなでしょうか。

しかし、注意深く観察してみれば何もないと思えるような時間にも、何かしらの考えが浮かんだり、何かしらの変化が生じたり、そういった記述の対象が知らず知らずのうちに現れているかもしれません。

周辺情報になりますが、「この人の閾」は芥川賞に選ばれていて、そのときに「明日世界が滅ぶとしたらこんな最後の一日を過ごしたい」と評されています。

なんとなく学校や日常生活がつまらない、という人は、こういった作品を読んでみてはいかがでしょうか。ドラマチックではありませんが、何か日常への新しい視野が広がるかもしれません。

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