セカイ系の世界

 突然ですが皆さん「セカイ系」という言葉をご存じですか?サブカルチャーの領域で使われることの多いワードなので、アニメや漫画に詳しい方は聞いたことがあるかもしれません。

 いろいろ定義の分かれる言葉ではありますが、おおざっぱに言ってしまえば「セカイ系」とは、主人公たちの一挙手一投足が、そのまま世界の命運を左右するような作品を指します。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』。主人公の碇シンジ君はかなり弱々しく、何かあるたびにすぐへこたれてしまいます。そんな彼の成長が、世界の命運に影響を及ぼします。極端に言ってしまえば、14歳のシンジ君が大人になれるかなれないかで、世界が滅ぶか滅ばないかが決まる訳です。他にも、『君の名は。』『天気の子』といったアニメ映画で知られる新海誠監督のいくつかの作品がセカイ系だと言われています。セカイがカタカナで表記されるのは、主人公をとりまくごく小さな範囲の出来事が世界全体に影響を与えるという、あまりにも大げさな設定への批判かもしれません。

 セカイ系の作品に対して、しばしば「社会が描けていない」といった類の批判が浴びせられることがあります。セカイ系の作品の多くは、主人公たちの行動が世界の危機に直結するわけですから、もっと多様に存在するはずの人々の営みや感情が描写されずに、世界が終わるかどうかみたいな大げさなことが描かれているのであれば、そのような批判を加えたくなるのも頷けます。

 しかし「社会」というものを具体的な対象として想定するのはそう簡単なことではありません。少なくとも、日々複雑化、肥大化する社会を十把ひとからげに理解するのはわたしには不可能です。人間の脳の大きさから、安定的な社会を築ける上限の人数は150人ほどだと言われていますから、1億人もいる日本社会を把握するのはだいぶ無理があるのかもしれません。そんな複雑で強大な社会に対して少しでも影響を与えたいという小さな個人の願望が、セカイ系を生み出したようにも思えます。

 さて、そんなセカイ系というジャンルの形成に大きな影響を与えたのが、世界的な作家・村上春樹の作品『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。この作品の「世界の終り」は人類滅亡といった意味ではなく、どちらかといえば「世界の果て」の意味合いが強いです。しかし主人公の自意識と世界を一致させる特徴はセカイ系と共通していると言えます。

 この作品の良いところは、主人公が世界に対して責任を負おうとするところだと思います。この作品の主人公は最後の最後に大きな決断を下します。村上春樹作品の主人公はどこか諦念を抱いており、流れに身を任せるような性格の人物が多いなかで、この決断は印象的に感じます。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は村上作品の中でもアドベンチャーとスリルに満ちた作品です。ぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。(大崎)

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