「質問する」のも能力の一つ

恥ずかしいから質問ができない。

確かにそういう部分もあるのかもしれません。

自分は静かな性格だから質問できない。

私も小中学生と決して明るい性格ではなかったので、分かる部分もあります。

でも、あなたのテストの点数がかかっているんです。

そしてその点数というのは通知表に影響し、高校進学にも影響する。

いや、もっと身近なところで言えば、点数が悪ければ家で怒られ、塾でも怒られる。

(逆によければ褒められます。)

つまり、良い点数をとることで良いことがある、というのは皆さん分かっていますよね?

受験間近の受験生でなければ実感はなかなか伴わないかもしれませんが、少なくとも言葉だけは良い点数をとることの重要性も分かっているはずです。

大事なことが目の前にあるのに、そしてそれを解決するには質問しなければならないのに、我々講師に声をかけなければいけないのに、それができない、というのは本当に性格的な部分が問題なのでしょうか?

例えばものすごく楽しみにしていた修学旅行の日に寝坊する。一人だけ遅れて東京駅に向かう。道が分からない。もう、道を聞かなければ時間に間に合わない。性格が静かだから人に何も聞かずに修学旅行をあきらめますか?いや、その場合は性格なんて関係なしにどこの誰とも知らない人に道を聞くでしょう?自分の性格なんて関係ない、今、すぐに行動に移さなければ自分にとってものすごい不利なこと、望ましくないことが目の前に迫っているんだから。

極端な例を出しましたが、皆さんがテストで点数をとれなかったら、間違いなく不利なこと、望ましくないことが起こりますよね?それが分かっているにも関わらず、「質問する」という行動が取れないのは私は性格的な問題ではないと思います。それは、不得意なこと(やりたくないこと)を性格的な理由を言い訳にしてやらないという逃げ、極端に言えば面倒くさいからやらない、というのとそれほど変わらない。

面倒くさいことをやりたくないのはみんな同じです。私だって面倒くさいことは極力やりたくないです。でも、必要ならばやるしかない。面倒くさいを押し殺して行動に移すかどうかは性格的な問題ではない。我慢できるかどうかの能力的な問題だと私は思います。

だから塾で皆さんの様子を見ていると思うのです。本当に成績を上げていく生徒、成績が良い生徒は性格に関係なく、質問をしてくる。そして、プリントをください、この解答用紙をもう一枚ください、と要求も頻繁にしてくる。でも、休み時間は本当に静かで一人でひっそりと座っているんです。

逆に性格はにぎやかで休み時間は本当に良くしゃべり我々にも話しかけてくるのに、勉強になると質問も何も来ない…。

「質問をする、しない」に性格的な部分がどれほど関係あるのか、私は疑問なんです。

性格が静かだろうが、にぎやかだろうが、暗かろうが、明るかろうが、質問する・しないには関係ない。少なくとも私はそう考えています。だから、乗り越えられるはずなんです。その生徒の根本にある性格的な問題ではないのだから。一歩を踏み出して、繰り返していけば「質問をする」能力はだれにでもつけられる。

だから我々は皆さんに言い続けるんですよ。課題を早く出せ、分からなければすぐに声をかけろ、とにかく我々とのコミュニケーションを増やせと。このテスト対策期間、一回も自分から我々に声をかけてこなかった生徒たち。性格に逃げ道を探すのは止めてくださいね。

TOP