学校の新年度が始まり一週間が過ぎました。
私の家族でも3人の子どもたちがそれぞれ新年度を迎えました。
長女は小学3年生として。
次女は小学1年生として。
長男は年長として。
それぞれ3人の子に「新しい先生の名前は?どんな先生だった?」と質問しました。
長女、次女、上の二人はそれぞれ担任の先生の名前を答えてくれ、簡単に「こういう先生だった」という話をしてくれました。
一方、長男は私の質問に対して、
「顔の違うゆうか先生」
と答えました。
「ゆうか先生」は、次女が幼稚園の時に2年間担任をしてくれた先生の名前です。
「ゆうか先生」といえば、その先生のはずなので、
「お姉ちゃんのときのクラスの先生でしょ?」
と聞くと、
「違う。顔の違うゆうか先生。」と言うのです。
妻に「別の”ゆうか”先生がいるの?」と聞くと、「いないよ。同じゆうか先生だよ。」と。
しかし、長男はかたくなに「違うんだよ~。顔が違うんだよ~。」と言い張りました。
日が変わり、再び長男に
「先生は誰?」
と聞くと、今度は
「顔が同じゆうか先生。」
と・・・
「お姉ちゃんの時と同じ先生なの?」
という私の問いに
「そうだよ。今日は顔が同じだった。」
と・・・
一体これはどういうことなのか・・・
不思議です。
もしかしたら、新年度最初の日の先生は、多少緊張して表情が違ったのかもしれません。
それが4歳の長男の目には「別の人」に映ったのかもしれません。
逆に、長男が新年度初めの日には緊張していて、世界が別の風景に映っていたのかもしれませんが。。(彼の性格を考えるとあまり考えられませんが…)
彼の不思議な発言に、「自分の仕事でもそういうことがあるのだろうか?」と考えてしまいました。
私の表情も毎日違うのかもしれません。
元気な時は元気な顔。
疲れている時は疲れている顔。
楽しい時は楽しい顔。
イライラしているときはイライラしている顔。
その日その日で、周りに与える印象が変わり、別人に見えることもあるのではないか…と。
私は「考えていることや気持ちがすぐに表情に出る」と、よく他人から言われます。
(気持ちも表情も自分のモノなんだから、勝手だろ!!)
恥ずかしながら、そんな風に思っていた青二才の時もありました。
でも、周りの人は私の表情を見ていろいろ考えて行動してくれるわけです。
私自身もやっぱりそういうところはありますから。
妻の表情がイライラしてそうならば、そこに油を注ぐような言動は慎もうと思う訳です。
生徒さんやスタッフが何か元気がなさそうであれば、声をかけようと思う訳です。
私の表情に対する周りの人たちも、きっと同じなんだろうな、と。
そう考えると、自分の表情というのにもそれなりに責任があるのではなかろうか、と思う訳です。
「今日はこういう先生」「明日はこういう先生」ではなく、
「いつも安定した山口先生」と周りの人に安心してもらえるような表情、言動を心がけなければいけないな、と思います。
もちろん「いつも無表情な機械みたいな先生」ということではなく、「いつも笑顔で明るい先生」という評価がもらえる表情をしていたい、ということです。
生徒さん達がいつも質問しやすいような表情で。
スタッフ達がいつも話しかけやすい表情で。
考えていることや気持ちが表情に出やすい人間であるだけに、そういう意識は常に強く持っていないといけないな、と思いました。