結果が出なかったのは当たり前

本日は私自身のプライベートの記事になります。

先日、小江戸川越マラソンに参加して来ました。

生徒の皆さんにはことあるごとに(しつこいほどに)マラソンの話題を振って来ましたので、「そんなの知ってるよ(聞き飽きた)」という人も多いかもしれません(笑)

結果はというと・・・

自己ベストからは2分近く遅く、満足できる結果ではありませんでした。

ハッキリ言えば、悪い結果です(;^_^A

もちろん、残念な気持ちもありますし、「あんなに努力したのに…」と思う気持ちも正直あります。

でも、考えてみればそんな気持ちを抱えるのは少しおかしいとも思っています。

なぜなら、それだけの結果しか出せないということは、それだけの練習しかしなかったからです。

私は今年、9月~11月の3か月間のトレーニングで約650㎞の距離を走りました。

数字にすれば、それなりの練習量なのかもしれません。

でも、1回1回の内容を見れば、やはり自分の目標タイムを突破するには値しない練習だったのは間違いありません。

勉強でも同じことが言えるのかもしれません。

机に向かっている時間=勉強時間、ではないですよね?

机に向かっていてもボケーっとしたり、ウトウトしたりしていれば、その時間は全く成績アップには関係ないわけです。勉強時間とは、とうてい言えないわけです。

練習量(距離)はたくさん取っていたかもしれませんが、その中で走力を上がるための練習がどれだけあったのか。

自分に甘えてタラタラと流してしまった練習がだいぶあったのだろうと思います。

「歳も歳だから…」という言い訳も湧き上がって来ますが、それも関係ありません。

歳を取って衰えるのは当たり前です。そんなことは私がロボットでもない限り、もともと分かり切った話です。

であれば、歳を取って衰えるのをカバーするほどに練習をこなさないといけなかった訳です。

実際、自己ベストを出した昨年の練習内容と比べると、今年は「練習の距離こそ多かったけれど、1回1回の強度(スピード)は弱かった」んですね。

つまり、楽な練習を多く重ねたということです。(ダラダラした練習が多かった、とも言えるかもしれません。)

歳も1つ重ね、その分だけ体力が落ちる中、練習強度を落としてしまえば自己ベストが更新できないのは当たり前の話なんですね。

「なんであんなに頑張ったのに…」なんて不思議がってる場合じゃないんです。ショックを受けている場合じゃないんです。

結果が出なかったのは当たり前、結果を出すだけの準備ができていなかったわけですから。

そう思うと、すぐに次に向かって意識を変えるしかありません。結果が出なかった原因がハッキリしている訳ですから話は早いのです。

その原因を改善して再び自己ベストを目指して新たな努力を始めるか。

それとも、もう自己ベスト更新は諦めるか。

その2つしかないと思います。

その2つしかないのであれば、私は再び自己ベストを目指して努力を始める方を選びます。

諦めるのはいつでもできますから。

いつでもできるのであれば、今やる必要はないと思うんです。

今やるべきことは、今しかできないことだと思っています。(20年後に自己ベスト更新をしようと思っても、かなり厳しいと思いますから 笑)

来年こそはこの塾ブログで

「自己ベスト更新しました!」

と報告できるようにしたいと思います。

そのための努力をまた続けて行きたいと思います!

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