今日は講師の矢田について話をしようと思います。
彼の…というよりは、彼と私の関係性の話といった方がいいかもしれません。
ホームページの講師紹介にも書いてありますが、彼は山口学習塾の最初の生徒です。
私が最初に作ったチラシを見て山口学習塾に来てくれました。
今は業者さんに配布をお願いしているチラシも、当時は私が配っていたんです。
ビクビクしながら配布したチラシで電話が初めて鳴った時は本当に感動しました。
塾も今ある1階ではなく、2階の住居用の一室でした。
ですから、説明を聞きにいらした矢田のお母様はピンポンを押して来てくれたのです。
よく分からない人間がやっている、よく分からない塾。
しかも普通の住居の一室ですから、外から中は全く見えません。
矢田のお母様もピンポンを押すのをためらったのではないでしょうか。
それでも私の話を熱心に聞いてくれ、大事なお子様を預けてくれたことに今でも感謝しています。
矢田を指導させて頂いたのは、彼が小学6年生から高校1年生まで。
実は当時は高校生の個別指導部があったのです。(当時は高校の非常勤講師をしている講師がアルバイトで来てくれていました。)
生徒の時の矢田はとても良い子で・・・
と言いたいところですが、そうでもないこともしばしばあり…。
当時は私も若かったのですので、それなりに叱ったこともしばしばあり…。
そんな話を今では笑い話として矢田と話し合えますので、良い思い出としておきましょう(笑)
(詳細を聞きたい生徒さんはぜひ矢田本人に聞いてください。ただ矢田は勉強に関しては本当に努力をしてくれました。彼の中3生の時の努力量は私が指導して来た生徒さんの中でもベスト5には入ると思います。)
山口学習塾で初めて卒業生サポーターを募った時に、真っ先に手を挙げてくれたのも矢田でした。
一生懸命、塾のために働いてくれ、サポーターリーダーとして当時のアルバイト達を本当に良くまとめてくれました。
社会人になり一度は外の世界で活躍していたのですが、また再び講師として山口学習塾に戻って来てくれました。
山口学習塾の歴史がもうすぐ17年になります。
その17年のうち14年くらい彼は山口学習塾に関わり続けてくれています。
教室長の樋口よりも長いんですね。
矢田が私のことをどう思ってくれているかは分かりません。
でも私は彼のことを、生徒であり、部下であり、中学の後輩であり、一緒に旅行にも行く友達でもあり、ともに同じ目標を目指す仲間でもあると思っています。(残念ながら息子と恋人は無理ですが 笑)
そして、今、矢田が生徒さんから信頼されたり、慕われたりする姿を見るようになりました。
もしかしたら、当時の矢田少年が先生の私に対して思っていた感情を、今の生徒さん達が矢田に対して抱いていることもあるのかもしれないな、と。
矢田のように長い期間この塾に関わり続けてくれる人がいることは私自身の誇りでもあります。
矢田だけでなく、講師の大﨑も元は塾の生徒であり、大学生の時はサポーターでした。
他にも塾を卒業してから何年も経つのに顔を出してくれたり、連絡をして来てくれる卒業生もいます。
(教室に掲げている会社理念を書いてくれたのも卒業生です。)
私自身はまだまだ未熟な講師ですし未熟な塾経営者です。
でも、いつまでも塾の存在を覚えていてもらえるような塾を作り続けたいと思っています。
私だけでなく、今度は樋口や矢田や大崎にも会いに来てもらえるような塾であり続けたいと思います。