出勤時、車の中でラジオを聞いています。
聞くのはたいがいFM NACK5。
私の家から塾まで車で15分くらいなので、本当に少しの時間ではありますが。
今朝は、元サッカー選手の鈴木啓太さんが担当の10分間の番組を聞いていました。
その中で鈴木さんがこんな話をしていました。
自分にとって幸せとは何だろうか。 それは自分の身近な人を幸せにすることではないだろうか。 たとえば両親。 両親は今年70歳を迎えている。 両親を幸せにするには何ができるだろうか。 そして、あとどのくらいの時間、両親を幸せにする時間が自分に残されているだろうか。 両親が80歳まで元気でいてくれたとして。 静岡に住む両親と会うのは年に5日間くらい。 実家に帰っても一日中顔をあわせている訳ではない。 実際に顔をあわせて一緒の時間を過ごすのは、一日6時間くらいかもしれない。 そうすると両親と一緒の時間を過ごすのは、6時間×5日×10年=300時間。 自分を生み育ててくれた両親と過ごせる残された時間が300時間しかない… そう考えると、時間の大切さが本当によく分かる。
そのような話をされていました。
その話を聞いて私は少しゾッとしたんです。
幸いにして私や妻の親は近くに住んでいます。
私の親は川越に住んでいますし、妻の親は隣の川島町に住んでいます。
鈴木啓太さんのように年に数日しか会えない…という状況ではありません。
年に数日どころか、月に何度も会っていたりします。(子どもたちの面倒を見てもらうことがあるのです…(;^_^ 今のおじいちゃん、おばあちゃんは大変ですね。。私が言えた立場ではないのですが…)
しかし、私が小さい頃からお世話になっている親戚の叔父さん、叔母さんは違います。
私の親戚はみんな新潟県に住んでいます。
細長い新潟県の北の方に住んでいますので、訪ねるにもなかなか大変です。
特にコロナ禍以降は全く会いに行っていません。
そんな状況にも関わらず、どこかで「いつかまた会えるでしょ。子どもたちの大きくなった姿も見せないとね。」と楽観的に考えている部分がありました。
しかし、今朝の鈴木さんの話を聞いてゾッとしたんです。
電話や手紙のやり取りはあっても、実際に顔をあわせて話したのはだいぶ前のことだ…
最後に会ったのは、今は小学3年生になる長女が1歳になるかならないかの頃…
そう考えると、もう7,8年会っていない…
「いつか会える。いつでも会える。叔父さんも叔母さんも以前のまま、元気でいるだろう。」
当たり前にそう考えていた気がするけど、そんなことはない…
叔父さんも叔母さんももう若くない…
こんなこと考えたくないけど、もしかしたら次に会うのが最後になるかもしれない…
いや、次があることさえ確証はないのかも…
今朝はそんなことを考えながら仕事場に入りました。
私が叔父さんや叔母さんと過ごす残された時間。
冷静に考えるとものすごく少ない時間のような気がします。
「いつか」などと悠長に考えている暇はないのかもしれません。
散々お世話になって来た人たちなので、このことは真剣に考えないといけないな、と思っています。
今回は私の個人的な内容を長々と書いてしまい申し訳ございません。
まだまだ若い小中学生の皆さんにはピンとこない話だったかもしれません。
でも、皆さんにとっての「残された時間」もそれぞれにあるかと思います。
部活動引退までの残された時間。
次の定期テストまでの残された時間。
受験生は次の北辰テストまでに残された時間。
(考えたくない人もいるかもしれませんが、夏休み終わりまでの残された時間・・・)
冷静にその時間がどのくらいあるのか考えると、時間の大切さに気付くかもしれませんね。