希望をなくすような言葉だけは…

はじめに断っておきます。

これは学校の先生批判ではありません。

学校の先生には、学校の先生の立場があり、事情があるのは重々承知です。

しかし、受験生に対して希望を挫くような言葉だけは言わないで欲しいと強く願います。

中学三年生のこの時期、多くの生徒が志望校を決め始めています。

現時点でまだ志望校に届いていない生徒もいると思いますが、残りの追い込みの期間も残しています。

現時点で多少不安でも、残り期間の努力と伸びを考えれば、十分に志望校に届く可能性がある生徒もたくさんいます。

それにも関わらず、この時期、学校の三者面談を終えた生徒の中には力をなくしてしまう子が表れます。

「学校の先生に難しいと言われた。」「その高校は辞めて、私立単願にしたら?と言われた。」

その一言が、まだまだ希望がある生徒たちの心をどれだけ挫いてしまうのか。

不合格を出したくない、生徒たちの受験を安全に早く終わらせたい、受験生を抱える先生方の気持ちの表れなのかもしれません。いや、もしかしたらそういう学校の方針があるのかもしれません。

われわれ塾講師には推し量ることができないほど、複雑で大変な事情があるのだと思います。

しかし、塾が抱える過去のデータから照らしても、決して無謀でも何でもない生徒たちが希望を挫かれている姿を見ると残念でなりません。公立高校進学を目指す彼らが、これからの2カ月半でどれだけ自分を追い込んで、どれだけ成長するのか。それを考えれば安易に「無理」だとか、「難しいだ」とか、そういう言葉を使うべきではないと私は思います。

私も当然、データから見て無謀とも思える入試は勧めません。でも、データから見て可能性が十分にあるのであれば、その生徒の成長、今後の人生の糧としての受験を考えれば、最後のギリギリまで目標を追ってもらうことに何らデメリットはないはずなんです。

ずいぶん前のテレビ番組で、ガンの専門医の方がおっしゃっていた言葉を思い出します。

「自分はどんな患者でも、『大丈夫、治りますよ。』と言う。たとえそれがどんな末期ガンだったとしても。私の一言で少しでも希望が持てるのであればそれでいい。仮に手術が失敗したり、もう手遅れだったとして、その後で裁判沙汰になろうとも、それはそのとき考えればいいこと。目の前に患者が来てくれたからには、たとえ治る見込みが0.1%でも自分は希望を捨てない。だから、『大丈夫、治りますよ。』と言う。」

もちろん、私はこの方のような覚悟はまだまだ持てません。データからして明らかに無理なときには、無理だと伝えてしまいます。でも、プロとして、生徒に希望を与える役目を負っているものとして、この方の姿勢は絶対に見習わなければならないと思うんです。

言葉一つで力を与えたり、力を奪ったり、それによって結果が変わることがあります。公立高校入試まで3か月を切ったこの時期。私も含め、受験生の指導に携わる人間は、改めて言葉の重さを考えなければいけない時期だと思います。

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