埼玉の一部が東京に取られていた?

先日、東京都の瑞穂町の博物館に行ってきました。

そこで衝撃の事実を知りました。

なんと、かつて「埼玉県の一部が東京都に取られていたという事実」があったのです!

ちょっと大げさな表現でしたね・・・(;^_^A

誤解を生んでしまいそうなので言葉を改めます。

「埼玉県のある村の一部が、隣の瑞穂町(東京都)と合併した」というのが正しい表現です(;^_^A

「明治時代以前とか昔の話だったらよくありそうじゃない?」

と思う人もいるかもしれません。

しかし、この出来事は1958年、昭和33年に起きたことなのです!

比較的新しい出来事だと感じるのは私だけでしょうか?(生徒の皆さんからしたら、「明治も昭和も大して変わりない」という印象だったりして…)

かつて埼玉の入間市と東京の瑞穂町の間に元狭山村という村があったそうです。

その元狭山村はもともと埼玉県に属していました。

この元狭山村の大部分が後に東京の瑞穂町に合併されることになります。

理由は、横田基地(アメリカ軍基地)の拡大です。

横田基地の拡大は瑞穂町の農地を壊して行われたそうです。

つまり瑞穂町の農家さん達にとっては自分たちの農地がなくなってしまうことになります。

そこで瑞穂町は横田基地の拡大にともなって減ってしまった農地を埼玉県の元狭山村に求めます。

「横田基地の拡大で農地が減った代わりに元狭山村の農地が欲しい。だから元狭山村を瑞穂町に合併しよう!」

ということだそうです(;^_^A

と書くと、ものすごい一方的に元狭山村が瑞穂町に合併させられた、みたいに思っちゃいますよね。

でも、実際のところ、元狭山村の多くの村民は「瑞穂町に合併して欲しい!東京都民になりたい!」と思っていたそうです。

ほとんどの村民が瑞穂町への合併に賛成していたとのこと。

どうやら元狭山村の人たちにとっては、瑞穂町に合併してもらった方が得なことが多かったのでしょう。(詳しくは分かりません、申し訳ございませんm(__)m)

しかし、埼玉県としてはみすみす元狭山村を東京に取られるわけにはいきませんよね。

だって、もともと埼玉県な訳ですから。

埼玉県の土地が面積が減っちゃうわけですから。

ですから、埼玉県としてはやはり反対はしたそうです。

埼玉県がわりと頑固に反対したので、元狭山村は3分の2を東京に、3分の1を埼玉に、という妥協案で落ち着いたのだとか。

こうなると、むしろ埼玉県に残った元狭山村の人たちが気になります。

そもそも元狭山村の人たちは「瑞穂町が良い!東京都民になりたい!」という意見が大多数だったわけですから。

東京都民になれなかった3分の1の人たちに不満はなかったのでしょうか。

バッチリあったみたいです・・・(;^_^A

合併前に埼玉県側の武蔵町(現入間市)の町長が元狭山村に訪れた時に、「合併したいのに!」と思ってる人たちに監禁されるという事件が起こったようです…、恐ろしい。。

いかがでしょうか。

この記事を読んでくれた生徒諸君、「埼玉県の一部が東京に取られていた!」と聞いて驚きませんか?面白いと思いませんか?

私はこの感動を自分の子ども達に一生懸命伝えたのですが、残念ながら3人とも

「え、だから?」

みたいな反応で終わってしまったのです( ;∀;)

ということで、自分の子ども達に感動を伝えられなかったリベンジとしてここに書いた訳です。

私がこの手の記事を書く時や、この手の話を授業中にする時は、家で子ども達に話して全く反応してもらえなかった…というケースが多いのかもしれません。

ですから皆さん、私がこの手の話をする時は無理にでも「へぇ~、スゴイですね~!」とか、「え?そうなの?面白い!!」とか、大げさに反応してもらえると、きっと私は喜ぶかと思います。

子ども達同様に「え、だから?」という反応でも十分に慣れていますので、そこまで無理してもらわなくてももちろん大丈夫ですが…(;^_^A

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