卒業生が訪ねてくれて…

本日、社会人の卒業生がわざわざ訪ねて来てくれました。

具体的なことは話せませんが、やはり社会人というのは大変ですね。

いろんな悩みを抱えて苦しんでいる様子が痛いほど伝わりました。

塾とは違う業界の話を聞き、私自身、知らないことも多く「そうなんだ…。大変なんだなァ…。」と思いました。

ただ、申し訳ないことに私は人の悩みを聞くのが大の苦手でして…

妻曰く、「アナタには悩みを話しても、すぐに『これはこうだからこうしたらいいじゃん。』と結論を言うだけで、話を聞いてくれない。だから何か悩んでも話したくない。」とのことで…

もちろん、私自身も悩みを持つことはあります。

あるにはあるのですが、私の場合は「ウダウダ悩んでいても時間の無駄だから、今やるべきことをやるだけ」とすぐに行動してしまうのですね。

とにかく、モヤモヤとか不安を抱えたまま、何もできない状態というのが耐えられないのです。。

行動している内に悩みの原因となっていることが解決することもありますし、解決できなくても動いている内に忘れてしまう、ということも多々あります。

とくに今の時期は11月の小江戸川越マラソンに向けて毎日のように走っていますので、たとえば朝まで抱えていたモヤモヤも、5㎞走とか10㎞走を自分の力の限界近くで走ってしまうと悩みどころではなくなるんですね。。

限界ギリギリで走っていると、頭の中が「辛い…」「もうダメ。。」「あと、100mは粘れるか…」など、走ることだけに占領されてしまいますので。。

もちろん、本当に悩んでいる人に対して「走ればいいんだよ。」なんて乱暴なアドバイスはいたしませんが、体を動かす、というのは気分転換の一つにはなるような気がします。

あと、一つ。

私は自分が悩んだときはできるだけ自分の周りにいる人のことを考えるようにしています。

とくに悩みの原因が対人関係であった場合は、その原因となっている人のことを考えます。

たとえば大学生の頃、ゼミの助教授が言いがかりに近いレベルでいつも私のレポートにダメ出しして返して来たんですね。

他の学生のレポートはすんなり受け取ってもらえているのに私のは受け取ってもらえない。

発表の最中にダメ出しされて、発表を途中で打ち切られたことなんかもありました。

もちろん、私も「なんで俺だけ…。もうこんなゼミ行きたくない…。」と思いました。

でも、一方で「自分だけ却下され続けるのには、助教授にも何かしら理由があるんだろう。」とも思ったのです。

自分のレポートや発表が他の学生と比べてレベルが低かったのかもしれません。もしかしたら、コミュニケーションの過程で私が何か失礼なことを言ったのかもしれません。

「助教授に気に入られたい」という風には全く思いませんでしたが、なんで助教授がそんなに却下するのかは非常に興味がありました。

ですから、ある日、レポートをいつも通り却下された際に聞いてみたんです。

「なんで僕のだけいつも受け取ってもらえないんですか?理由があれば教えて欲しいんですけど。」と。

周りも助教授もびっくりした顔で私を見ていました。

でも、意外にも

「君のはいつも論点がズレている。それにいつも君だけのをはじいている訳じゃないだろう?他の人のだって私はちゃんと見て判断しているぞ。提出前にもっと私を利用しなさい。もっと事前に質問しなさい。」と、親切に言葉をかけてくれたんです。

「自分だけ…」「自分だけ…」と自分しか見ていない時は、ひたすらイライラとか不安がたまるだけで何も解決しないんです。(あくまで私の場合は、ですが。)

相手の立場を無理にでも考えようとすると、「何かしらきっと理由がある」と少し自分の考えが広がって、気持ちも少し楽になるような気がするんです。

そして、実際に「自分だけが悩んでいた」訳ではなく、相手側にもそれ相応の感情や理由があったりするんですよね。

(ちなみにこの助教授はその後も私のレポートを却下し続けましたが 笑)

会社員の時も悩みを抱えていた時期があります。

かなりのハードな労働環境で月に2回程度しか休めなかった時期があったんです。

帰りはいつも終電。

休みをくれない教室長を恨んだ時期もありました。

「なんで俺だけ休めないんだよ!他の教室の講師は休んでいるのに!」と。

でも、私が月に2回休んでいるところ、その時の教室長は月に1回も休みがなかったんです。

あまり、口数の多い人ではなかったので後でそのことに気づいたのですが、その人は教室に入っていない時でも本部で仕事をしたり、会議に出たり、他の教室をヘルプに行ったり、とにかく私以上に休んでいなかったんです。(もちろん、そんなに休日の少ない職場は今の時代、大問題にはなってしまいますので決して良いとは言えませんが…)

そういう事実が分かってからは、「自分が…自分が…」ではなく、「自分が頑張って教室長の負担を少しでも減らせないだろうか」と、一人で抱え込んでいた悩みが、むしろ他人への気遣いに変わって行ったりしたものです。

家族の中での悩みも同じだと思っています。

私がもし、妻に対して色々ストレスを抱えたり、不満を持つようなことがあれば、きっと妻はもっと大きなストレスや不満を私に持っているだろうな、と。

仕事場も同じです。

私がスタッフ達に何かしら悩みを抱えているとしたら、彼らはもっと大きな悩みを私に対して抱えているだろう、と。

相手のことを考え始めると、悶々として何もしないで時間を過ごすのはもったいなくなるんですね。

「相手のストレスや不満や悩みを少しでも軽減させるために、自分は何ができるだろうか。」と、前向きに考えられるようになって、行動にも移すことができるようになることがあるんです。

(いつも、そんなに上手く行くとは限りませんが…)

あくまで「私個人はそう思っている」というだけで、これが正しい考え方だとか、悩みの解決に繋がるとかそういう話ではありません。

ですから、悩みのある人にこんな話をしてしまい、果たして良いものかどうか…というのは正直分からない部分が大きいのですが…

今日は、せっかく悩みを相談に来てくれたのに、なんだか何も役に立てなくて申し訳なかったです。。

本当は共感できれば良かったとは思うのですが、私は共感というのがとても苦手でして…

それでも少しでも何か好転のきっかけとなってくれていれば…と願っております。

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