先日、国語の授業で入試に取り組んでいる際に、個人的に懐かしい名前を評論の問題の中に見つけました。
その人は、わたしの通っていた大学で教授を務めていた人で、音楽についての論説が問題文中に引用されていたのです。
解説の際に、この人が大学の先生だったというエピソードを紹介しようとも思ったのですが、あまりに個人的な話であるのに加え、問題を解くのにあまり必要のない引用のされ方だったので省略しました。
知っている作家、専門家の文章が問題の材料として使用されるのには何度か遭遇したことがあるのですが、実際にあった人物を問題文中に発見したのは初めてでした。
わたしはその先生を、音楽について研究する人間として認識していました。通っていたのは文学部だったのですが基本的に広い分野について学べる場所だったので、いわゆる「文学」に関わらず、いろいろな領域を射程にした先生が在籍していました。
おせわになったゼミ(研究室みたいな、学生と教授が交流していろいろ議論を深めたり、研究する場所)は、その先生が主宰していたものではなかったため、先生とは深い交流があったわけではありませんが、何度かお話したこともあります。
そういう繋がりがある人が、人生の思いもなかったタイミングで出現して、かつての交流を思い出したりすると、大学にいっていろいろな人と会うことができてよかったと思います。
今かよってくださっている生徒さんも、卒業してしばらく経った思いがけないタイミングで、この塾の関係者と再会する可能性があります。ニ、三年後という短い期間での再会ではなく、五十年後、六十年後に再び会うことだってありえます。たとえば駅、レストラン、コンビニ、老人ホームとかで。
もちろん、お互いのことを忘れていることもあるでしょう。特にわたしは忘れられることの多い人間です。数十年後には名前も思い出せなくなっていると思います。
無理して他人の名前や顔を覚える必要は全くなく、ほんのわずかな期間でも親しかった人、話をした人などが記憶に残って、予期できないような偶然のタイミングでその人と出会うことができたなら、ほとんど奇跡と言ってもいいような再会をこれからの人生で味わえるかもしれません。人の名前を覚えておくと、今後の人生でそういった楽しみを増やすことができるのではないでしょうか。