伴名練『なめらかな世界と、その敵』

 突然ですがみなさん「となりの芝生は青く見える」ということわざをご存じでしょうか。他人の持っているものは何でも、自分のものよりよく見えるという意味の言葉です。同じものを持っているはずなのに、自分のものよりも人が持っているやつの方がなんだか上等なものに見える、なんてことはよくありますよね。お店に置いてあったときにはおしゃれに見えた小物をいざ自分の部屋に飾ってみると、なんだか色あせて不格好に見えるみたいな。同じようなことわざとして「となりの花は赤く見える」なんてのいうのもあります。

 わたし自身、他人の持っているものがよく見えるなんて経験は数知れずしてきました。人の持っているものどころか、自分の選択も「ひょっとしたらこっちを選ばない方がよかったんじゃないか」と、選んだものよりも選ばなかった方の選択肢を評価してしまう傾向があります。カレーとシチュー、どちらがいいか悩んだ末にカレーを選んだけど、食べた後、やっぱりシチューのほうがよかったかもと思ったり、のんべんだらりと学校生活を送っているときには、違う学校に進んでいたら何か変わっていたかも、とか考えたりします。

 しかし選ばなかった選択をうらやんでしまうのであれば、選んだ道を歩んでいる今の人生はいつだって最低です。右を選んだら左が良く見える。かといって左を選んでも右のほうが良さそうに思える。そうなってしまうと自分の選択は必然的に最悪なものになってしまいます。「悪い方を選んだ」のではなく「選んだ方が悪くなってしまう」のです。結果、今まで歩んできた人生を振り返ってみると、通ってきた道はどこもかしこも最低なものだった、なんて思ってしまうかもしれません。

 そんな最悪も、「もしそうでなかったら」という反実仮想と現在の間に生じた幻想的なものにすぎません。おそらく、シチューにしたらカレーが良かったと思い、違う学校を選んでもやっぱりやめておけばよかったと思ったことでしょう。しかし、いま歩んでいる人生は「そうはならなかった」人生です。シチューを食べてたら後悔していた、ほかの学校に行っていたら後悔していた、だけど、そうはならなかった。そういった意味でやはり、いま生きている時間が最上で最善のものなのかもしれません。後悔と肯定は紙一重の位置にあります。たとえ隣の芝が青く見えても、隣の花が赤く見えても、いま立っている場所を肯定できれば、それでいいのではないでしょうか。

 今回紹介する伴名練 著「なめらかな世界と、その敵」は人間がいくつものパラレルワールドを行き来する能力を持っている世界の物語です。一つの世界で失敗をしても、ほかの世界に飛ぶことができる。その世界がつまらなくても、もっと面白い世界は無数にあって、瞬時にそれらに移動ができる。夢のような能力です。

 そんな世界にも、パラレルワールドの行き来ができない人間が存在します。というか、一度きりの生しか生きられないわたしたちこそがそのような人間なのです。周りの人はみな、複数の人生を生きていて失敗したって許される、間違えたって違う世界に行けばいい、そんな感覚で生きている。そんな世界に放り込まれたらみなさん、どうしますか?

『なめらかな世界と、その敵』には秀麗な短編がいくつも収められています。道具に過ぎないはずのAIが、人間を道具にして戦争を行う話や、ものすごく遅い時間に取り残される同級生と、それをどうにかしようとする男子生徒の話など、どれもこれもすばらしいSF作品ばかりです。ぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。(大崎)

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