「今日休んだ分を明日やる」
あたかも皆さんの塾の授業やテスト勉強の話のように聞こえたかもしれません。
塾の授業を休んだ分の振替などありますから、そう聞こえてしまうのも当然かもしれません。
しかし、これは私自身にも日常的に降りかかっている話でもあります。
たとえば仕事。
常にこの言葉との戦いです。
今日は何となくやる気が出ないなァ…、まあいいや、今日はちょっとゆっくりして、明日その分早く起きてやれば。
たとえばランニング。
今日は雨が降ってるから面倒くさいなァ…まだ眠いし。今日は休んで明日その分走ればいいや。
日常のあらゆる場面で、「今日休んだ分を明日やる」という言葉は現れます。
でも、本当に今日休んだ分を明日やることなどできるでしょうか。
たとえば今、この記事を書いているのは「2023年6月21日の午後11時」です。
「2023年6月21日の午後11時」はこの一瞬しかありません。
「2023年6月21日の午後11時」を別の日に取り返すことなど絶対に不可能なのです。
たとえば今、この記事を書くのを辞めて
「今日はもう疲れたからいいや。今日の分は明日の同じ時間に続きを書けばいいや。」
と決めたとします。
じゃあ、明日、6月22日午後11時にこの記事を書けば、本当に今日の分を取り返すことができるのか。
絶対に無理だと私は思います。
次の日の同じ時間に同じように書いたとしても、きっと内容は同じにはなりません。
その時の気持が変わります。体調も変わります。もしかしたら、次の日はやらなければいけないことがたくさんあって、記事の内容が雑になってしまうかもしれません。
もっと言えば、6月21日午後11時に書いてその日の夜に公開すれば、次の日の夜に公開するよりも一日分多くの人に読んでもらえる可能性があります。
さらに、6月21日にこの記事を書き終えていれば、6月22日にはまた別の記事を書けるかもしれません。そうすれば、「塾のブログがまた今日も更新されてる。読んでみよう。」と楽しみにしてくれる人が少しだけ増えるかもしれません。
もしかしたら、一日記事を書くのが遅れたら、講師の樋口や矢田や大崎に「な~んだ、塾長。ブログの記事も最近更新してないじゃないか。たるんでるんじゃないの~?」なんて、塾長としての評価が下がってしまうかもしれません。(まあそれは冗談ですが…彼らはそんなに性格は曲がっていませんので。。)
つまり、何ごとにおいても、「今日の分を明日やる」というのは不可能だと私自身は思っています。
そういえば、だいぶ前にこんな記事も書いていました。
この記事の中で、「人生に振替なんかないんですよ。」という、ある人の話を紹介しています。
「今日の分を明日やるなんて不可能である」というのと同じ話かもしれません。
もちろん、塾の授業を休めば振替授業は行います。
テストに来れなければ別の日に行います。
でも、それは決して「その日にやるのと同じではない」んです。
今日やるはずだったものを明日やる。
形のうえでは同じことを明日やることはできるかもしれませんが、今日の分は絶対に今日にしかできないと思います。
私自身、安易に「今日の分を明日やろう。」という選択はしないようにしたいと思っています。