22年度の公立高校入試が終わりました。受験生の皆様、本当にお疲れさまでした。勉強を通して得た知識は忘れてしまっても、中学三年生のある期間、勉強をしたという事実は残ります。この経験が、これからの人生において何らかの役に立てば幸いです。
さて、先日山口先生が各教科の特徴について分析したものをブログに書いておりました。しかし、どういうわけか国語だけ書いてないではありませんか!国語を教える身としては、これほど悲しいことはありません。
個人的には、今回の国語の問題では、哲学を主題にした評論が出されたことが印象的でした。数年前、埼玉県県立入試の国語のテストで「エポケー」という哲学の用語が使われたことがわたしの記憶に残っていますが、そのときの受験生は「エポケー?なんじゃそりゃ!」となっていたことは想像に容易です。わたしが通っていた高校の国語の教師は、その問題を見て、「エポケー」という難しい用語を出題したことに怒っていました。
今回の評論文は、ヘーゲルという哲学者についての本からの問題でした。
ヘーゲルという哲学者は「弁証法」という考えで有名です。この弁証法は、簡単に言えば二つの対立する考えを、一つのより正しい考えへとまとめ上げる、といった考えです。
例えば、AさんとBさんの二人の人が、何やら言い争っているとします。Aさんは、自分が見たのは丸い、円形のものだったと主張し、Bさんはそうではなく、自分が見たのは長方形のものだったと言い張っています。この二つの意見を足し合わせると、二人が見たものはつつ状の円筒形のものだったと推測できます。
このように二つの違った意見を、一つのより正確な考えへと導くのが、弁証法という考えの基本です。
ヘーゲルというのはこの考えを歴史全体まで広げて考えました。人間の歴史は多くの対立からできていますが、その対立を繰り返して、理想的な世界が創りだせる、と考えたのです。
このヘーゲルの考えは多くの議論を呼びました。人間の営みというのはそんな単純なものではなく、争いの結果、いつもいいものが生まれるとは限らない、と考えた人もいます。ヘーゲルが生きていたのはおよそ二百年も前ですが、彼の考えは今も根強く残っています。弁証法という考え方や、その考えから生まれた様々な議論は、普段の考えにも応用することができます。こういった先人の知識を学ぶと、日常生活で、あるいは受験で思わぬ遭遇を経験できるかもしれません。