なぜ勉強するのか?
この問いに対して、様々な塾の先生が様々な回答をしています。
それらを見るとどれもが正しいように思います。
私も今までにさんざん生徒たちから問われたことがあります。
その度に私は少し困ってしまいます。
真剣に考えれば考えるほど困るのです。
困った私が出す答えは「分からない」です。
もちろん、塾で我々が皆さんに勉強を指導させていただく理由は「成績を上げるため」「志望校に合格するため」この2点に尽きます。
でも、それはあくまでも我々が塾講師という職業上、考えている理由です。
今の皆さんの中には、我々と同じく「成績を上げるため」「志望校に合格するため」が勉強をする理由になっている人もいるでしょう。
私もそうでしたから。
小学校、中学校のときに勉強をした理由は、目の前のテストでいい点を取るため、そして高校受験に合格するため、それくらいしか考えていませんでした。
「いい仕事に就くため」「思考力をつけるため」「将来の選択肢を増やすため」
よく言われる、それら全てが正解なんだと思います。
でも、小学生、中学生の頃の私はとてもじゃありませんが、そんな遠い将来のことを真剣に考えることはできませんでした。
「なぜ勉強するのか?」
その答えはおそらく生徒一人一人で全く違うはずです。
そしてその答えはまだまだ先、将来の皆さんにしか分からないことだと思うのです。
私自身の話を少し書きたいと思います。
私自身は高校受験のときに親が心配するくらい勉強に打ち込みました。
そして希望の高校に進学することができました。
その後の大学、就職もある程度自分の希望通りに進めることができました。
でも「だから勉強は意味があるんだ」なんて言うつもりは毛頭ありません。
私が「あの時勉強して良かったな」と感じるのは、なにも偏差値が上がったから、試験に合格できたから、会社に就職できたから、そんなことではないのです。
私があの時勉強して良かった、と感じるのは「親も心配するくらいに己を追い込むことができる自分を体験できたこと」なんです。
まだまだ若輩者なので人生を語るのはおこがましいですが、今までの人生で何度かは落ち込むときがありました。窮地に立たされることもありました。
でも、そのときに私を支えてくれたのは、「誰よりも努力をして高校入試を乗り越えたじゃないか。このくらいの窮地は我慢できる。窮地を脱するまで努力を続けることが自分にはできる。」という意志なんです。
多くの生徒が勉強よりも友達と遊んだりスマホを見ている方がよっぽど楽しいでしょう。
だからこそ勉強することには価値があるのだと私は思うのです。
辛いことを我慢する、嫌いなことに努力をし続ける、そして結果を出す。
その経験が将来の皆さんの力になり続けると私は信じています。
今やっている勉強が直接的に何に繋がっていくのかは、それぞれの生徒で全く違うはずです。
「なぜ勉強するのか?」の答えは、皆さんが将来に渡って探していくものなのかもしれません。
でも、勉強を通して得られる「結果を出すまで辛くても我慢して努力をし続ける」という経験は、どんな将来が待っていたとしても、皆さんの心を強く支え続けてくれると信じています。