なぜ我々がテスト前にたくさん課題のプリントを皆さんに渡し、ことあるごとに「早く出しなさい」とプレッシャーをかけるのか。
分かります、皆さんの言い分も。
「学校のワークが終わっていない」
「学校のワークをまだちゃんと覚えきれていない」
その言い分の正しさも私たちも分かっています。
たしかに学校のワークを終わらせないと提出期限に間に合いません。
提出できなければ学校の成績にも響きます。
定期テストでは学校のワークからの出題が多いですから、それをしっかり覚えてから、というのも正しい勉強方法です。
でも・・・
と我々は考えてしまいます。
皆さんが丁寧に学校のワークをノートにまとめ、そして二週間、いや三週間弱、学校のワークだけとにらめっこしている。
本当にそれは学校のワークの隅々まで覚えようと必死に取り組んでいる姿なのだろうか、と。
書いてあることをノートにまとめる。
答えを見て、何となくわかった気になる。
その間、一度も質問に来ない。
その姿は、自分の分からないことを隠すかのような姿に見えなくもない。
分からないことを調べたり、考えたり、質問したりする労力から逃げているようにも見えなくもない。
気持ちは分かります。
自分が分からないことが明るみになるのは嫌ですよね。
ましてやそれが大量にあったら、それを認めるのは怖いですよね。
できることだけ、自分のミスが出ないことだけを繰り返していればそれは楽ですよね。
でも、それで点数は上がると思いますか。
当たり前のことを言います。
テストで点数を上げるには分からないことを分かるようにしないといけません。
分からないことが少ない人ほど点数が良いんです。
じゃあ分からないことを分かるようにするにはまず何をしたらいいのでしょうか?
「分からない」部分がどこなのか、発見することから始まるのではないのでしょうか。
自分の穴がどこに開いているのか分からない状態で勉強を進めても、穴はいつまでもふさがらないんです。
自分の穴がどこなのか発見するために何をしますか?
自分自身で自己分析を一生懸命しますか?
自己分析で自分の弱点を正確に把握できる人がどれほどいるでしょうか。
正直に言うと、私だって自己分析で自分の弱点を把握する自信なんてありません。
自分の穴は他人に言われてはじめて気づくことの方が多い。
皆さんの学習で言えば、それが我々からの課題プリントなんです。
模擬テストなんです。
言われた期限までにそれをどんどん終わらせて、どんどん提出する。
そうすれば我々が皆さんの穴を見つけられる。
皆さんの「分からない」を指摘できる。
仮にその穴がたくさんあったとしても、早く知ることができれば穴を埋める時間はたくさんありますよね。
成績のいい生徒ほど、とにかく早くプリントを提出します。
そしてとにかく早く自分の穴を把握します。
「分からない」を「分かる」に変える時間をとにかく多くとります。
自分の分からないに早く目を向けてください。
そのために早く課題を提出してください。