本日はプライベートの話を。(「本日”も”」と言った方がいいかもしれませんが…)
最近、私は長女のある言葉について叱ることがあります。
それは「ズルい」という言葉。
もう少しだけ具体的に言うと、長女は「マー君(弟)だけズルい!」とか、「しーちゃん(妹)だけズルい!」という言葉をよく使うのです。
いや、気持ちは分かります。
たしかに他の人が得をして、自分だけが損をするようなことがあれば人間だれしも、「ズルいなァ~」に近い感情を抱くことはあると思うのです。
それは私であってもあります。
しかし、長女のその後に続く言葉に少し疑問を抱くこともあります。
「マー君、しーちゃんが得をしているんだから、私にもそれをやって!」
これだったら分かります。
他の人が得をしているんだから、私にも得をさせて欲しい!
確かにそういう気持ちは分かりますし、ある程度の合理性はありそうな気もします。
しかし、彼女は時々こう言うのです。
「マー君、しーちゃんはこの前得をしたんだから、今度はマー君、しーちゃんに損をさせて!」
このようなことを言うのです。
具体的には、
「マー君はこの前アイスを一人だけ買ってもらったんだから、今日は買わないで!」とか。
「しーちゃんはこの前スイッチを一人でやってたんだから今日はナシにして!」とか。
私はこれはおかしいと思うんです。
たとえマー君やしーちゃんが損をしたとして、長女が得をすることはありません。
マー君としーちゃんの損は決して長女の得にはならないのです。
「この前得をした人は今度は損しないと気が済まない」というのは、完全に「感情的に」というヤツです。
もっと言うと、「自分の思い通りに周りが動かないと気が済まない」ということに繋がるような気がするのです。
「誰かが損することで、それを見て自分が満足する」
これはマズいな、と。そんな人間には育ってほしくないな、と。
そう思うので、最近は長女に対して
「人に対して”ズルい”と言う言葉を使うのを辞めなさい。」と言っています。
社会的、政治的なことを書くと色々あるのであまり書きたくないのですが、大人の世界でもこういうことが頻繁にあると思うんです。
たとえばコロナ禍で飲食店への給付金が出続けた期間がありました。
その時にネット上で「飲食店だけズルい」のような書き込みがたくさんあったと聞きます。
子育て世帯に対する政策でも「子どもがいる世帯だけズルい」のような書き込みが多くあると聞きます。
心情は分かります。同じ国に住んでいて、同じように税金を支払っているのに自分は何ももらえないで他の人がもらえる…というのはやはり納得できない部分は出て来るのかもしれません。
でも、だからと言って「そういう人達は今度は損をするべきだ」みたいな考え方は少し寂しい気がするのです。(「他がもらってるんだから自分も欲しい!」なら分かるのですが…)
誰かの損、誰かの失敗、誰かの不幸で自分の気持ちを慰めるような人間には、少なくとも私自身はなりたくないと思うのです。
そして、自分の子どもたちにも、誰かの損、誰かの失敗、誰かの不幸で自分の気持ちを満足させるような人間にはなってほしくない、と。
そういう気持ちから、長女に対して「まず”ズルい”と言う言葉を使うのを辞めなさい。」と言ってるわけですが。。
今朝も起きた瞬間から「マー君は幼稚園だから遅くまで寝ることができてズルい!」と言ってる訳ですね・・・
道のりは遠い。。( ;∀;)