中3生、日曜日の北辰テストお疲れさまでした。
手ごたえのある人、そうではない人、様々だと思います。
しかし、次の北辰テストまですでに1ヵ月を切っています。
さらに中間テストもすぐにやって来ます。
9月~11月は受験生にとって本番に近いくらいの山場になると思います。
一息ついている暇はありません。
先を見て学習の態勢を整えていきましょう。
さて、話は変わり、9月の休日に二週続けて富士見市に行って参りました。
「富士見市に行く。」という言葉を聞くと、川越に住むわれわれが思い浮かべるのが、「ららぽーと」だと思います。
「塾長、どうせららぽーとに行ったんでしょ?一週目でお目当ての品物が買えなかったから、次の週も行ったんでしょ?」と多くの人が思ったことでしょう。
残念、不正解です!!
私はそもそも人混みがあまり得意ではないので、それほどららぽーとには行かないのです。
私が第一週目に行ったのはここ。
この写真を見てすぐに答えが分かった人は、なかなかの歴史マニアです。
答えは、水子貝塚。
水子貝塚公園にある再現された竪穴住居の中の写真です。
「貝塚」は中1生もすでに習った言葉ですよね。
縄文時代の人々が貝殻やその他生活で出るごみを捨てた場所です。
実際に見に行くと分かりますが、貝殻の層がものすごく厚く積みあがっています。
一体どれくらいの人たちが何年間貝を食べ続ければ、あれだけの量の貝殻が積みあがるのか…
そんなことを考えていると、不思議とシジミの味噌汁が飲みたくなってきました。
すると「今日、味噌汁が飲みたい!」と私の脇にいた次女が急に言ったので、自分の頭の中を読まれたようで大変奇妙な感覚になりました。
これもまた、貝塚の不思議なパワーがなせる業なのかもしれません。
水子貝塚の資料館で係の人の話を聞いていたところ、子ども達に6000年前のヤマトシジミの貝殻をくれました。
皆さんの家にはこれだけ古いものがあるでしょうか。
由緒正しき家に住んでいる人の中には、「室町時代や江戸時代の器や掛け軸が蔵の中にしまってある」なんて人もいるかもしれませんが、それでもせいぜい500~600年前の話でしょう。
今、私の家には6000年前のモノがあるのです!
しかも、長男のおもちゃ箱の中に!!
そう考えると、何だか自慢できるような気がしてきました。(価値は0円でしょうけど。)
さて、第二週目に行ったところに話を移しましょう。
第一週目が雨だったために、ここは次の週に予定をずらしました。
ここです。
この写真でどこか分かった人は、水子貝塚を知っている人の2倍は歴史マニアだと思います。
「難波田城公園(なんばたじょうこうえん)」という所です。
水子貝塚の近くにあります。
名前の通り、その昔、難波田城という城がありました。
戦国時代に難波田憲重(なんばた・のりしげ)という武将が活躍したそうです。
この難波田憲重は北条氏と上杉氏の戦いである河越城の戦いにて、古井戸に落ちて亡くなったそうです。
敵に落とされたのでしょうか、それとも戦い中に喉がカラカラになって水を飲もうとしたところ誤って落ちてしまったのでしょうか。
落ちた理由は分かりません。
北条氏の拠点となった「河越城」というのは、今も一部が残っている川越の本丸御殿を中心とした城です。
一方、河越城の戦いで上杉方が陣取った柏原城(狭山市柏原)は、私の家から歩いて2分くらいのところにあります。
今はちょっと遊歩道がある雑木林になっており、私の子ども達から「秘密の森」と呼ばれています。
(私は毎日この柏原城付近から川越に通勤している訳で、まさに上杉憲政が川越に攻めるがごとく仕事場に行ってるということです。よって毎日、気合入りまくりです!でも、河越城の戦いでは上杉氏は負けるんですけどね…)
これ以上歴史の話が長くなると社会が嫌いな生徒たちは読むのを止めてしまいそうなので、歴史の話はこのあたりにして。
「水子貝塚」と「難波田城公園」、ともに皆さんの好きなららぽーとのちょっと先にあります。
2つとも入場料などはありません。
ららぽーとに行って、用事を済ませ、「ん?今日はなんだかちょっと時間があるぞ?」となった時。
ぜひ、その先に一歩足を伸ばしてみてください。
水子貝塚、難波田城公園、2つとも意外に面白いと思います!
(水子貝塚の竪穴住居の中のオジサンとの2ショットは意外にインスタ映えするかもしれませんよ?)