残念な光景

先日、飯能市で行われたウォーキングイベントに子どもたちと参加をして来ました。

山道ありの12㎞は子どもたちにはなかなか大変だったらしく、ゴールをしたときには何かを達成した満足感からか、とても良い顔をしていたように思います。

飯能市の自然豊かな景色の中を歩いたので私もいい気分転換になったのですが、その中で一番印象に残った(残ってしまった)景色がコレです☟

タンポポなど野生の草花がキレイに広がっている野原にとつぜん現れた立て札・・・

「呪」という字を見て、爽やかな気持ちが一気に

「なんか恐ろしいな…」

という気持ちに変わってしまいました。

心洗われるのどかな風景にこの立て札は非常にもったいないなぁ~と。

残念な気持ちになったのですが…

でもよく考えてみれば、この野原の持ち主の方からすれば、ゴミのポイ捨ては許せないのは当たり前なんですよね。

私だって自分が大事にしている庭に勝手にゴミを捨てられたら、捨てた人を呪いたくなるような気がします。

この野原は丘がちょうどゆるやかに下っていく場所にあり、遠くまで見渡せて本当にキレイなんですね。

そして、この野原にはゴミ一つ落ちてなかったんです。

ということは、この野原の持ち主の方がいつもキレイにしているということです。

ゴミが落ちていれば、それを一つ一つ拾い集めている、ということです。

ここからは私の想像になりますが、きっとこの立て札だって最初はなかったと思うのです。

でも、徐々に有名なウォーキングのコースになり、歩く人が増え、心無い人がゴミを捨てるようになり…

それでも最初は

「ゴミのポイ捨ては止めましょう。」

とか、そういう立て札だったのではないでしょうか。

でも、相変わらずゴミを捨てる人がいて…

「ゴミのポイ捨て禁止!!」

と強い語調になり…

それでもゴミのポイ捨ては無くならず…

最終的に

「呪」

という強い言葉を使わざるを得ない状況になったのかもしれません。

そう考えると、残念なのは立て札の「呪」という字ではなく、人々のマナーですよね。

人々がマナーを守ってさえいれば、誰もこんな立て札を置く必要はない訳ですから。

おそらくですが、私は来年も同じウォーキングイベントには参加する予定です。

来年、同じ道を歩いた時、あの立て札がなくなっていることを願います。

ゴミのポイ捨てをする人がいなくなり、野原の持ち主の方が安心して立て札を片付けられることを願います。

来年は「呪」という字がない、キレイな風景を子どもたちと楽しむことができたらいいなぁ~と思います。

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