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やり方を考える前に

私事の話になりますが、毎年9月からランニングを始めます。

もう、長いこと塾に通っている生徒たちは散々聞かされている話なので飽き飽きしていると思いますが、たまにはブログにも書かせてください!

なんのためのランニングかというと11月末に開催される小江戸川越マラソンのためなのですが…

一応、そこで1時間30分切りするというのを毎年目標にトレーニングを積んでいきます。

(今年は残念ながら、小江戸川越マラソンが中止ということでトレーニングをしようかどうか現在迷っている所なのですが…。歳も歳だけに今年一年サボってしまうと、今後、永久に目標達成できないのではないかと不安になります…)

小江戸川越マラソン第一回の年、私はランニングを始めました。

一番最初の年は1時間50分も切れなかったと記憶しています。

ただ私は無謀にも最初の年から漠然と1時間30分は切りたいな、と思っていたんです。

最初のうちはただ闇雲に走っていました。

とにかく長い距離。とにかくできるだけ毎日。

走るフォームだとか、効率のいいトレーニングだとか、そんなことは全く関係なくただひたすら走れるときに走れるだけ走る。

タイムを記録する腕時計すら持っていなかった時期もあります。

それで1時間30分台までは記録を伸ばすことができました。

テクニックや効率なんか考えずにただひたすら走りまくる。

それで最初の記録から20分ちょっと縮めることができたんです。

ただ、そこからは記録がどうやっても縮まらない、いくら距離を走ってもなかなか1時間30分を切れない、そのときようやくトレーニングの仕方をネットで調べたり、どのシューズを履くか本格的に悩んだり、そういうことを始めたんです。

ランニングにも方法論があります。

効率のいいトレーニング論がネットにあふれています。

でも、効率のいいトレーニング、走り方を学んだとして一か月に20㎞しか走らないのであれば、やっぱりがむしゃらに一か月200㎞走り込む人にはどうあがいたって勝てないと思うんです。

一か月に20㎞しかトレーニングしてない人は方法論を学ぶ前に、とにかく走り込むことの方が100倍大事な気がするんです。

余計なことを考えずに走り込んで走り込んで、それでもどうにかならない壁があらわれたとき、そのときようやく「やり方」について考えればいい。

勉強も似ている気がします。

勉強の「やり方」が分からない、という言葉をよく聞きます。

勉強の「やり方」が分からないから成績が伸びない、という言葉。

たしかにそういう面もあるのかもしれません。

ただ、そういう言葉を聞いて勉強時間を確認すると、ほとんどの場合、勉強時間が少ないのです。

もしくは、机に座っている時間は長いけど、こなしている課題の量が少ないのです。

私は実業団のランナーではありませんのでランニングについての正しい見識はありません。

完全に個人的な意見になってしまいますが、正しい走り方もそれなりに走り込まないと分からないものだと私は思うのです。

それなりに走り込まないと正しい走り方をするための筋力や体力がつかないのだと。

筋力がなければどれだけ正しいフォームをネットで見て真似してみても、やっぱりふらついたフォームになるでしょうし、体力がなければすぐにフォームは乱れます。

勉強にも「勉強体力」という言葉を使う人がいるように、まず勉強をある程度やらないことにはつかない力があります。

それは集中力だったり、忍耐力だったり。

それがなければいくら正しい勉強の「やり方」を教わっても、すぐにボケーっとしたり、違うことを考えたり。

その状態で「やり方」が悪いのかもしれないと、そこに原因を求めて「やり方」探しをしていても、おそらく結果は何も変わらないと思うのです。

効率のいいやり方とか、何か魔法のような方法論を探す前にとにかく一刻も早く、そしてできるだけ長く勉強をやってみる、これでもかとやってみる。

今までの自分ではあり得ないくらい、今までの自分では想像できないくらい長い時間、勉強をし尽くしてみる。

それでも伸びなくなった時に初めて勉強の「やり方」を考えればいいのだと覚悟を決めて。

おそらくですが、そう覚悟を決めて努力を続けた先には「やり方」探しをしている自分はいないと思うんです。

結果は出ていると思いますし、自然と「やり方」も見つかっていると思うんです。