No.1 内申30以下でも所沢パートⅠ(2年3学期入塾)

入塾当初から自由な校風にあこがれ、所沢高校を志望。いい加減なところが多く、宿題のやり方、授業の受け方などで何度も注意を受ける。志望校との差が大きかったため、本人が嫌がろうとも半ば強制的に学習量を増やし管理していた。その甲斐あって2年3学期期末で五科343点であった定期テストも3年時には400点を突破し、その後も400点前半をキープ。しかし、学校の先生との面談では1,2年時の内申点の不利(1年28、2年28、3年34)、北辰テストの偏差値を考慮して(五科平均が55.0)志望校を下げるように言われる。本人は11月ごろに私立高校単願に切り替えようとするも、「受験からの逃げ以外の理由が見当たらない志望校変更」と塾長の山口は認めない。本人も冬休みに入るころには所沢一本勝負で覚悟。それから受験までの伸びは順調で、塾内模擬テストでは十分に所沢高校の合格圏に達する。自分よりも成績の良い他塾の友達が不合格になる中、見事合格。北辰の結果、通知表の不利だけであきらめてはいけない。

No.2 驚異の216点UP(2年2学期入塾)

入塾前の2年1学期期末テストは五科188点、かなり学習が遅れていた。とくに苦手な数学は小学生レベルのたし算・ひき算からのスタート。入塾当初は毎日数学の補習を行う。大量の課題、繰り返される補習にも嫌な顔ひとつせず、黙々と取り組んでくれた。入塾して初めての定期テストで五科150点UPをいきなり成し遂げてくれたが、その後も油断することなく地道に努力。苦手な数学は最高でも60点台であったが、五科合計では3年2学期期末で404点を達成。朝霞西高校に進学。

No.3 走って帰宅、走って通塾(小学生から在籍)

中1のはじめから実力はなかなかあり、学年順位も50番付近(上位3分の1程度)を行ったり来たりしていた。ただし、学校の授業態度や提出物などの面で通知表は伸び悩む(1年30、2年30)。英語が得意だったことから3年時には志望校を和光国際(外国語)に。学校の面談では1,2年の通知表から当然厳しいとの話が出る。しかし、塾では本人の持っている力を考えれば十分に通知表も取り返せると判断したため、残り一年は1分1秒無駄にせず、勉強に捧げるように伝える。本人もその言葉に応えてくれ、学校から走って帰宅しバッグを玄関に放り投げ、走って塾に来るという生活を続ける。3年2学期期末で学年9位、通知表も3年2学期は40を超える(3年1学期・2学期あわせた総合は39)。北辰テストでも当たり前のように偏差値60超えを記録し続け、安全圏で和光国際(外国語)に合格。初めて山口学習塾に入ってくれた生徒であり、初めて卒業生のスタッフとして山口学習塾に戻ってきてくれた生徒でもある。

No.4 内申30以下でも所沢パートⅡ(1年2学期入塾)

入塾前の1年1学期期末は五科307点。入塾当初は居眠り、宿題忘れで何度も怒られる。宿題に関しては改善が見られないため、ついには家でやることを禁止され、宿題をやるために毎日塾に来るというおかしな状況に。最初は嫌々やらされていた勉強だったが、3年時に所沢高校を目標に定めると徐々に実力を開花させる。もともと毎日のように塾に来ていたため、受験期間もそれほどストレスにならなかった様子。3年2学期中間テストでは五科437点(学年16位)に。北辰テストも1年時に偏差値53.8であったのが、3年5回では65.1に。通知表が1年27、2年30と所沢レベルに全く達していなかったが、3年時には35まで上げる。それでも学校の先生からは「ほぼ無理」と言われた所沢高校に見事合格。ちなみに塾長の山口がときどき皆さんに見せる怖い顔の絵は、彼の居眠りを防止するために描かれたのが始まり。

No.5 真面目にコツコツと(1年2学期入塾)

真面目にコツコツと努力を続けられる生徒はやはり伸びる。その典型のような生徒。卒業後も道で会えば自転車から降りて頭を下げて挨拶をしてくれるような礼儀正しくまじめな生徒であった。ただ、入塾前はあきらかに学習量が足らず1年1学期期末では五科337点。その後、我々からの課題を手を抜くことなく地道に取り組んでくれ、3年1学期期末では453点に。北辰テストでも偏差値68.3に達し、和光国際(普通)に合格。

No.6 地元最上位への挑戦(小学生から在籍)

もともと力を感じさせてくれる生徒であったが、苦手な国語が足を引っ張り、1年時は学年50位前後を行ったり来たり(1年時は他塾に通う兄との関係上、国語のみ兄と同じ塾に在籍)。1年時の国語の平均点は69.5点。2年時から五教科を山口学習塾で学ぶようになり、すぐに力を発揮(2年1学期中間の国語は97点)。2,3年時の国語の平均点は87.0点に。2年の北辰テストでは偏差値60.2にとどまるが、内申もよく(1年40、2年40)実力もある生徒であったため川越高校を薦める。受験期は目標に向けかなり自発的に追い込んでくれ、定期テストの最高順位も7位まで上昇。北辰テストも偏差値69.0を記録。見事、川越高校に進学。「川高クラスは一年のはじめから行ける生徒は決まっている」そういう話も聞くが、そんなことはない。それをこの生徒が教えてくれた。

No.7 通知表は大きな武器(2年2学期入塾)

通知表さえよければ、入試本番までの逆転は十分に考えられる。その典型的な例。2年1学期期末が295点で山口学習塾に入塾。300点を切っている状況なので当初は志望校も「行けるところで…」という感じであった。しかし、この生徒は内申が1年36、2年36と定期テストの点数にしてはかなり内申が先行していた。「これくらいの通知表であれば川南。実力は入試までにつければよい。」ということで、最初は我々から押し付けられた格好になったが、入塾後は休むことなく淡々と勉強してくれ3年2学期中間では五科412点に。内申も3年時には40を記録。北辰テストの偏差値が3年はじめに52.3だったのを本人は不安視していたが、それも夏明けには59.5に。満を持して受験に臨み川越南に合格。北辰テストの結果が出ていなくても不要に消極的になる必要はない。内申がいい生徒はぜひ上を目指して努力を続けて欲しい。

No.8 脱・北辰の呪縛パートⅠ(2年3学期入塾)

定期テストで343点(2年2学期期末)であったことから、入塾時には「市立川越に行けたらいいな。」くらいに本人は考えていた。しかし、内申が1年34、2年34と来ていたこともあり「そのくらいあれば山口学習塾ではもっと上を目指すべき」ことを伝える。3年時の定期テストは397点、409点、414点、411点と安定し、学校の先生からの評価も高い生徒であったため内申も42を記録する。しかし、北辰テストで伸び悩み最高でも偏差値54.5。ただし、北辰テストはあくまで私立高校確約が一番の目的のもの(と我々は考えている)。内申が十分あるのだったら、最後の塾内模擬テストで結果を出せば必ず受かると激励。受験まで残り1カ月のところでようやく模擬テストで合格判定が出始める。北辰では合格判定が一度も出なかったが、みごと合格。北辰の合格判定を呪縛のように気にしてしまう人がいるが、志望校に向けて余計な不安を抱えず勇気をもって努力をしてみて欲しい。

No.9 伸びたからこその後悔(1年2学期入塾)

No.5の和光国際(普通)に合格した生徒の弟。性格は兄と全く反対で、1年2学期中間で五科300点を下回っていながら(295点)、本人に焦りの色はまるでなし。母に半ば強制的に入塾させられる。ただ塾に入ってからは意外なほど素直に学習に取り組んでくれた。壊滅的だった英語(入塾前35点)は順調に伸びていき、2,3年時の英語の平均点は82.4点。定期テストの最高点も2年2学期期末に449点を記録。北辰テストの最高偏差値は67.6。入試は志望校(松山・普通)に十分な安全圏で臨み合格。3年時だけを見れば十分に地元の最上位男子校を狙えたのだが、1年、2年の内申点が仇となった(内申は1年29、2年33、3年38)。伸びたからこそ本当に実感できる後悔もある。

No.10 市立川越⇒所沢北パートⅠ(2年1学期入塾)

入塾前の2年1学期中間は五科340点。その後一年間は20点UP程度にとどまる。山口学習塾の生徒の中でも伸び率は低い生徒であった。内申も「1年31、2年32」できていたこともあり、3年開始時点での本人の志望校は市立川越であった。しかし、ここから彼の快進撃が始まり定期テストで次々に自己ベストを更新。夏前には志望校を川越南にシフト。部活動引退後も勢い衰えず、北辰テストを含め成績は上がり続け、3年の夏前に偏差値56.0であったのが3年7回では63.6。定期テストも3年2学期期末には五科442点を記録。3年の内申は38までUP。冬前には第1志望の川越南よりも、滑り止めの私立高校の方がレベルが高いという現象が起きてしまう。そこで私立単願の話が出るが、「どうせやるなら所沢北を!」という山口の提案に本人が覚悟を持って賛成してくれる。塾内の入試模擬テストでは合格可能性50%程度であったが見事合格。現在の我々が目指す「市立川越・川越南⇒和光国際・所沢北」という成績UPを体現してくれた生徒の一人。

No.11 全てが不利であっても(3年1学期入塾)

入塾前の3年1学期中間が284点。その時点で本人は川越南を志望していたが、学校の先生からはほぼ無理と言われていた。(それもそのはず、定期テストの点数だけでなく内申も1年28、2年29とかなりの不利を抱えていた。)ただ本人の川越南への気持ちが強く、1,2年での現実的な志望校との大きな差を伝えても志望を変えなかったので、我々も本気で狙っていくように課題、補習で徹底的に追い込む。中学校が塾から遠かったにも関わらず、ほぼ毎日一番乗りで塾にやってきて、我々の要求以上の時間を勉強に捧げてくれた。成績が上がっても(定期テスト最高は382点)下がっても常に本人は「本番以外は関係ない、入試で勝つだけ。」と非常に強い気持ちで学習を続けていた。その覚悟、その努力の成果が残り一か月のところであらわれ、塾内の入試模擬テストで内申の不利を取り返し川越南に合格するラインまで実力を押し上げた。最終的に学校の先生からは「受けるのは自由」とまで言われた挑戦だったが、見事に川越南に合格。内申もない(中3の内申は32)、北辰もない(北辰最高は55.5)、それでもあきらめなければ最後の最後でどうにかなることもある、それを証明してくれた生徒。希望がある限り、安易にあきらめるべきではない。

No.12 市立川越⇒所沢北パートⅡ(3年1学期入塾)

入塾前の3年1学期中間が372点。その時点で本人は市立川越を志望。3年1回の北辰偏差値が56.2であったので、それなら入れるという理由だけで選んでいた。「この時点でそのくらいの偏差値であれば最低でも川越南。」と本人の意向は無視して、とりあえず上を目指して追い込んでもらう。3年1学期期末ですでに442点と急上昇したこともあり、志望は川越南に。北辰テストも3年7回には65.5を記録し、1,2年の内申の不利(1年28、2年30、3年37)を考えても川越南は安全圏に。冬以降の入試模擬テストも楽勝だったため、「所沢北も頭の隅に入れておきなさい。」とアドバイス。出願ぎりぎりになって志望を所沢北へ、そして合格。彼も山口学習塾の伝説の一人である。

No.13 脱・北辰の呪縛パートⅡ(2年2学期入塾)

北辰テストの合格可能性だけで判断してはいけない。その生徒の内申点から志望校との距離を測り、そして何よりもその生徒の実力、成長を信じなければいけない。それを強く意識させてくれた生徒。入塾前の2年2学期中間は359点、入塾後はじめてのテストですぐに403点(2年2学期期末)とそれなりの結果を出してくれた。ただ50点程度のUPは山口学習塾ではあまり珍しくない。この生徒の場合は得点よりも、習い事との両立で学習時間がかなり短いにも関わらず出した結果だったので能力の高さを感じさせてくれた。当時、本人は部活の関係で朝霞高校志望であったが、途中から私立の強豪校に志望変更。しかし、夏過ぎに勉強重視での高校選びに考えが変わる。学校の先生からはすでに北辰テストで基準に達していた私立高校の単願をすすめられる。ただ我々は大学進学実績や内申点から、安易に学校の先生が提示した私立高校にしてしまうのはもったいない、と強く反発。何より他の受験生と比べ本格的な受験勉強をしていない段階での成績で高校選びをするのはもったいない、と伝える。「どうせなら和光国際(普通)」と提案。その後、北辰テストではかなり不利な判定(3年6回五科54.5)が続いたり、他塾に通う自分よりも成績のいい友達が志望校を下げるように塾の先生に言われたり、周りの知り合いにも不安がられたり、志望校を下げたくなる要素がたくさんある中で、本人と保護者様が我々の言葉を最後まで信じてくれ見事合格。彼の場合は内申が34、35、39と十分に和光国際を戦えるだけの数字があった。たとえ北辰で結果が出なくても、毎日接していれば入試でどれだけ戦えるかも分かる。我々はたった1回の北辰テストの結果だけで言うことを変えてはいけない。北辰でA判定だったら大丈夫という塾講師。北辰がC判定だったら無理だという塾講師。そんな程度のことしか言えない塾講師に進路のアドバイスをする資格はないだろう。

No.14 「351点」からの学年1位(1年2学期入塾)

山口学習塾史上、最大の逆転劇を演じてくれた生徒。入塾前の1年2学期期末テストは五科351点。苦手な英語は50点以下。当初は集中力も高いわけではなく、テスト対策中に注意されることもしばしば。英単語テストも毎週のように再テストになっていた。それでもコツコツと地道に努力をしてくれる生徒で、2年時には450点前後をキープできるようになっていた(450点を超えたのは1回)。これほどレベルアップしたにも関わらず、志望は川越南。内申も1年36、2年39と来ていたこともあり、「たとえ嘘でもいいから川越女子を第1志望に書きなさい。」と強引に川越女子を意識してもらう。3年時の定期テストではすべて450点を超え、3年2学期期末では491点、ついに学年1位を達成。北辰テストも3年4回で偏差値71.5。山口学習塾始まって以来初めての川越女子の合格となった。